引き裂かれた国境の「屈辱」 望んだ沖縄の姿、再び海に誓う

有料会員記事沖縄・本土復帰50年

野崎健太
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 4月28日はサンフランシスコ講和条約が発効した日。日本はこの日を境に連合国の占領から脱して再独立した一方、沖縄は日本から切り離され、米軍統治下にとどめ置かれた。沖縄では「屈辱の日」と呼ばれ、1960年代には境界となった北緯27度線付近の海に日本、沖縄双方の船が集まり、本土復帰を求める集会が行われていた。

 今年は条約発効から70年、日本への復帰から50年。28日、同じ海で海上集会が再現され、当時の関係者たちも参加した。

 この日、沖縄県国頭村の港を出た船団の先頭をゆく一隻に、青山恵昭(けいしょう)さん(78)=同県浦添市=の姿があった。琉球大学の学生だった1964年と65年に集会に参加。今回、当時を知る一人として招かれた。

 参加者による「沖縄を返せ」の歌声が海原に響き渡ると、当時の高揚感がよみがえった。「アメリカが決めた国境線を、本土から来た船、沖縄からの船が切り裂いている。復帰運動の先頭に立っているんだと、誇らしい気持ちでした」

戦後の沖縄「みな貧しかった」

 鹿児島県与論町出身の父と、国頭村出身の母を持つ。漁師だった父が働いていた台湾で生まれた。父は召集され、復員後に家族を捜しに戻った台湾で行方不明に。国民党政府による住民弾圧事件に巻き込まれ命を落としたことが後にわかった。

 父と入れ違いで母と引き揚げた青山さんは、母の故郷の国頭村で育った。

 同級生には沖縄戦で家族を亡…

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