旧大川小遺族を追った映画が完成 来月3日に石巻で試写会

三井新、原篤司
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 東日本大震災の津波で多くの子どもが犠牲になった旧大川小学校宮城県石巻市)の遺族たちを追ったドキュメンタリー映画「生きる―大川小学校津波裁判を闘った人たち―」が完成した。来春、都内で公開予定だ。県内外で広く上映を目指す。

 旧大川小では児童や教職員計84人が犠牲・行方不明になった。遺族が市と県を相手取って起こした訴訟は、2019年に学校側の対策の不備を認める判決が確定している。

 監督は、映像制作会社「パオネットワーク」(東京)の寺田和弘さん(50)が務めた。津波から逃れた教員が証言した保護者説明会や、文部科学省主導で設置された第三者検証委員会の様子など遺族が記録してきた映像を活用。語り部活動などに励む遺族らのインタビューも交え、124分の作品に仕上げた。

 寺田さんは「なぜ遺族は裁判を起こし、社会はそれにどう向き合ってきたのか。考え、遺族に会って話を聞くきっかけになれば」と話す。

 映画の主題歌「駆けて来てよ」は、訴訟で遺族の代理人弁護士だった吉岡和弘さん(74)が作詞・作曲した。映画は「震災の記憶を継承するアイデアの一つ」。歌には「最愛の人を失った方が思い浮かべる気持ち」を込めたという。

 歌ったのは、SCSミュージカル研究所(仙台市青葉区)の広瀬奏さん(21)。震災当時は小学4年生だった。旧大川小で亡くなった子どもたちを想像し、「どれだけつらく、悲しかったか。私のように今も夢を追いかけていたはず。歌が天や世の中に届くといい」と話す。

 試写会が5月3日午前10時、石巻市のマルホンまきあーとテラスで開かれる。無料。申し込みは専用サイト(https://bit.ly/OkawaFilm503別ウインドウで開きます)で。試写会後には、遺族たちが震災遺構・旧大川小で語り部活動をする。問い合わせは寺田さん(090・3557・8292)へ。

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 映画の最後の撮影は、今年1月8日夜。大川小津波訴訟の元原告団長、今野浩行さん(60)と妻ひとみさん(51)が、東松島市で久しぶりの講演に臨んだ場面だった。

 聴衆は防災を学びに来た兵庫、三重、青森の高校生ら約80人。津波に奪われた当時大川小6年の長男ら3人の我が子と似た年頃の真剣な表情を前に、率直に、また力強く語った。

 今野さんは裁判をしていた時期を振り返り、「子どもの声を代弁する思いで続けていた。絶対子どもは『なぜ死んでしまったの』『なぜ大人は助けてくれなかったの』と思っているはず。その答え探しの気持ちだった」と話した。

 兵庫県立舞子高校2年(当時)、松浦結衣さん(17)は「裁判をする時に一番つらかったことは何ですか」と質問。それに対し、今野さんは「遺族に対するSNSでの誹謗(ひぼう)中傷がすごかった。殺人予告が来た。すごく怖いなと思う」と語った。

 そうした中、支えとなったのは同じ原告の人たちだったという。「とても1人ではできなかった。仲間がいたから、裁判に勝つことができた。途中で団長を降りることなく、続けられた。仲間には感謝しています」

 同校1年(当時)の今井千愛さん(16)は、震災当時と約11年経った今の気持ちの変化について尋ねた。

 今野さんは3人の子ども全員を失ったショックで、酒を飲まないと眠れない日々が続いたと明かし、「気持ちが多少落ち着いたのは、判決が出た後。団長という重責から逃れることはできたが、今も体は治らず病院に行く日々が続いている」と話した。

 以前は悲しみと後悔から口にした「死にたい」という言葉は、最近出なくなった。「病院に行くというのは、生きようとしているということ」と自分に言い聞かせるように語った。

 それでも、「なかなか強く生きるって難しいんだよね。人間弱いから。こういう状況になってからでは、『悲惨さ』しかない」と吐露した。

 ひとみさんは「私も前向きではないと思う」としつつ、講演に立ったのは、「未来ある子たちが救えたら。これから皆さんは子どもを預かる仕事に就くかもしれない。ようやく、少しでも役に立ちたい、という気持ちになれた」と話した。(三井新、原篤司)