ロシアによるウクライナ侵攻は、他国に攻め入り、破滅への道を突き進んだ日本の過去を想起させる。日本が戦後国際社会の仲間入りを果たしたのは、平和主義を掲げた日本国憲法9条を手にしたからだった。憲法施行から75年。世界史の激動の中で生まれた9条の今日的な意味を、江藤祥平・一橋大准教授(憲法)に聞いた。
戦争が「合法」だった時代とは
――ロシアがウクライナを侵攻する事態を間の当たりにして、日本国憲法9条の意味をどう考えたらいいのでしょうか。
9条の今日的な意味を考える前に、少し歴史をさかのぼってみましょう。20世紀の初頭まで世界では「力は正義」というルールがまかり通る時代が長く続きました。国家間の紛争解決手段として戦争は「合法」とされていたのです。
ナポレオン戦争にプロイセン軍の将校としても参加した軍事戦略家、クラウゼヴィッツが著書「戦争論」に記した「戦争とは、他の手段をもって継続される政治に過ぎない」という言葉が、そのことを端的に表しています。これによれば、1853年にペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に来航し、武力で威嚇して開国を迫ったことも、当時は「合法」でした。力こそ正義である世界を目の当たりにした日本は、明治維新を経て近代国家の仲間入りをし、日清、日露戦争で大陸へ進出していったのです。
――当時の日本の武力行使は国際法上は問題なかった、とうことですね。
その通りです。しかし、この頃から国際社会の潮目は徐々に変わっていきます。戦争違法化の流れが生まれてきたのです。大きなきっかけとなったのが、第1次世界大戦でした。大戦では、戦車や飛行機、潜水艦や毒ガスなど膨大な兵器が投入された結果、未曽有の被害が生じました。その反省から、国際紛争を軍事によらず解決する方向が模索され、それが戦争それ自体を違法化していくという流れを生んだのです。
その象徴が不戦条約です。この条約は実際には各国の複雑な思惑を妥協的に反映した側面もありましたが、1928年8月、日本も含む15カ国が参加してパリで調印し、成立し、後に63カ国が参加し全世界的な国際条約となりました。自衛権の行使は許されていましたが、国際紛争を解決する手段として、戦争や武力の行使に訴えることは禁止されたのです。
――日本はそうした世界の変化の潮流をとらえられていたのでしょうか。
日本の発想は古い世界秩序の…