16歳で舞妓に 京都・上七軒の芸妓梅ぎくさん、40年を語る

有料記事

西田健作
[PR]

 京都に五つある花街の一つ、上七軒(かみしちけん)(京都市上京区)で芸妓(げいこ)を続ける梅ぎくさんの40年余を追った写真展が京都市中京区のギャラリーで開かれている。上七軒で四半世紀ぶりの舞妓(まいこ)となり、芸妓として、北野天満宮門前の花街と共に歩んできた。その道のりを、展覧会の会場で梅ぎくさんに振り返ってもらった。

写真展は7日まで

溝縁ひろし写真展「花街 上七軒」は京都市中京区河原町通蛸薬師東側塩屋町のギャラリー古都で7日まで。梅ぎくさんの40年と上七軒の四季を写した約50点を展示。

 「初々しい、ほんまにおぼこかったんやろうなあって。懐かしいどす。ものすごく」。鏡を手に白化粧をする16歳の自分の写真を見て、梅ぎくさんはこう言った。

 舞妓になりたい一心で、石川から京都に出てきた。何も分からず、父親が京都の観光協会に連絡すると、ずっと舞妓がいなかった上七軒でなり手を探していると知らされた。「今みたいにインターネットおへんやん。ご縁があったんどすね。上七軒に」

 住み込みによる「仕込み」「見習い」を経て、梅ぎくさんは1981年に舞妓になった。上七軒で四半世紀ぶりに誕生する舞妓を、雑誌の依頼で撮影したのが、京都府宇治市の写真家溝縁ひろしさん(73)だった。以後、40年余りにわたって梅ぎくさんを写してきた。

 梅ぎくさんは「このころは無我夢中どした。お稽古で覚えなあかんことがぎょうさんあったさかいに。158センチあったので、おこぼをはくと、おっきい舞妓さんやってよう言われてました。でも、頭をぶつけるので『ちょっとちょちょこばりや』って言われても、『ちょちょこばりや(かがむ)』が分からへん」。

 花街のしきたりに従って、お…

この記事は有料記事です。残り591文字有料会員になると続きをお読みいただけます。
今すぐ登録(1カ月間無料)ログインする

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません