16連覇の強豪・入間市 手もみ茶の継承続く あらわれた「新星」

岡本進
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 狭山茶の地元にある埼玉県入間市博物館は「お茶の博物館」として知られる。館内の一角に、お茶の色に見立てた緑の「優勝旗」が飾られている。全国手もみ茶品評会の産地賞の優勝旗だ。個人の争いとは別に、市町村ごとに上位5人の総得点で競う。入間市は16連覇中で、手もみ茶の分野で他の産地を寄せつけない。

 立役者となったのは、市内で「茶工房比留間園」を営む比留間嘉章(よしあき、64)。約40年前に手もみ茶を始めた。昔は、新芽の摘み取りから製品にするまで、すべてが手作業だった。だが、機械化の時代の流れに伴い、しだいに技は廃れた。

 比留間は「伝統の技を消滅させたくない」と思い、手作業を復活させた。手摘みした新芽を「焙炉(ほいろ)」と呼ばれる台の上で、もみながら乾燥させる。一日に仕上がるのは、わずか300グラムほどの量である。

 入間市の「連覇」は以前にもあった。5連覇をかけた2004年、静岡県藤枝市に「970対969」と1点差で敗れた。比留間が地元の手もみ茶保存会の会長に就いた年だ。翌年は7点差で、また敗北。比留間にとって屈辱だった。

 一方で、こう思い知らされた。「1人のリーダーが引っ張るのではなく、試験に合格した人間が次の受験者を合格させるサイクルにしなければ、技術は継承されていかない」。以後、後輩たちに口出ししたいときがあっても我慢した。

 12年前の品評会。個人の部で日本一になったのが、市内で「大西園」を営む中島毅(42)だった。

 高校を卒業後、静岡県にあった国の研究機関に2年間通った。江戸時代から続く老舗の14代目だ。施設内で手もみ茶品評会が開かれていた。出品されるお茶はどれも針のように細長く「芸術品」に思えた。

 中島は全国品評会で8回の1位を重ね、主催団体から2年前、「永世茶聖(ちゃせい)」という最高位の称号を与えられた。比留間は我がことのように喜んだ。中島がその年に作った手もみ茶は1キロあたり155万円で取引された。「日本一の茶師」と呼ばれる。

 中島は手もみ茶を作るとき、作業場に8時間こもる。途中、誰も入れない。空気が入ると、葉の乾きに影響するからだ。「『整列しろ』と、言うことを聞かせるように茶葉を操るんです」と中島は言う。手を柔らかくするため、風呂に入るときは指でもみほぐすことを欠かさない。それでも、満足いく品ができたのは過去に2度しかない。

 日本一の技術者集団をつくりあげた比留間が、もう一つ実現したいことがある。継承者が途絶え、幻となった「狭山流」製法の再興だ。中島の祖父を最後に、以後、30年間の空白がある。いま普及しているのは、手もみ茶を復活させるために編み出された「標準もみ」だ。比留間は昔の資料を丹念にあたる。

 地元に昨年、新星が現れた。市内の生産者で2番目に若い「西沢園」の西沢陽介(32)。気候を読み違い、摘み取り適期を逃した中島に代わり、全国品評会で1位になったのは「入間市手揉(てもみ)狭山茶保存会」会長の間野隆司(60)だ。2位に続いたのが西沢だった。手さばきは中島から教わった。

 新芽がそろった4月23日から4日間、西沢は、今年夏の手もみ茶品評会に出品する作品づくりに臨んだ。昨春に冷凍した新芽で毎週のように練習を重ねてきた。余計な香りは命取りになる。用意した新品の服を丁寧に水洗いし、天日干して身につけた。

 手応えは十分あった。=敬称略(岡本進)