執拗だった脅迫、流れ変えた地裁決定 「暴力認めない」声上げ続ける
明日も喋ろう 「表現の不自由展 東京2022」実行委員会共同代表・岡本有佳さん
展示拒否などにあい発表の機会を奪われた作品を集めた「表現の不自由展」。国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」での一時中止は、大きな注目を集めました。その後、中止を求める脅迫や街宣を受けても、会場の利用を断られることがあっても、関係者は開催へ向けた努力を続けてきました。
今年の5月3日は、朝日新聞阪神支局に男が侵入して散弾銃を撃ち、記者2人が死傷した事件から35年になります。
圧力に屈せず、表現の自由の大切さを訴え続ける思いとは。表現の不自由展運営の中心メンバーで編集者の岡本有佳さんに聞きました。
「スタート地点変わった」実感
〈表現の不自由展は2015年に東京で初めて開かれた。きっかけは、12年に東京で元慰安婦の写真展が中止となったことだった〉
会場側から中止通告を受けた写真家・安世鴻(アンセホン)さんが裁判を起こし、私を含めて、中止を「おかしい」と感じた市民が裁判を支援しました。そのなかから、日本の社会にある「検閲」を目に見えるようにするために展覧会を開こうという声が上がりました。
最初の会場は東京・練馬の小さなギャラリー。展示に反対する人たちのデモなどはありましたが、事前に地元警察や区役所と警備態勢などについて協議しており、2週間の会期を大きなトラブルなく終えることができました。
妨害が顕在化したのは、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(あいトリ)。脅迫電話やテロ予告を理由に、主催者がわずか3日で展示中止にしてしまった。妨害した人たちにとって「成功体験」になってしまった。
〈あいトリでの展示中止は大きな注目を集めた〉
そもそも表現の不自由展は…