血つながらなくても「お母さん」  虐待された子らに寄り添い20年

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小林祝子
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 2021年の暮れ、埼玉県東部の一軒家。この家に住む萩原タキ子さん(57)は、浴室で生後8カ月の赤ちゃんの体を洗う女性を見守っていた。

 「この前より、手つきが安定している。練習したのね」と萩原さん。女性は「人形を使って、たくさんイメージトレーニングをしてきました」と答えた。

 約4時間、おむつの替え方や離乳食の進め方など熱心にメモを取った女性。赤ちゃんを抱く萩原さんに見送られ、1人で帰った。

 女性はこの赤ちゃんの受け入れを予定する里親だ。萩原さんは、養子縁組を前提に里親になろうとする人が、スムーズに赤ちゃんとの生活を始められるようサポートする活動をしている。

 大半は乳児院を経ずに、産院から直接やってくる。児童相談所から連絡がくれば、いつでも赤ちゃんを預かる。自室のベッドの枕の近くにベビーベッドを並べ、赤ちゃんの世話をする。

 萩原さんは言う。「赤ちゃんとの生活を熱望する人でも、突然それが現実になり、24時間ノンストップとなる負担は計り知れない」

 里親が子どもを受け入れた後に関係がうまくいかず、関係を解消する「委託解除」も少なからずある。

 そういった事態を防ぐため、赤ちゃんの様子や里親ののみ込みも考慮しながら、5~10回の交流を経て、里親宅への1泊の外泊、長期外泊とならしていく。萩原さんは17年からこの活動を始め、これまでに12人の赤ちゃんを里親につないできた。

 18年2月からは虐待などで親元で暮らせない複数の子どもたちを預かるファミリーホーム(FH)も自宅に設け、「お母さん」として一緒に暮らしている。

 昼夜を問わない子どもとの生活は、激務だ。だが、萩原さんはこう言って笑う。

 「年を取って眠りが浅いから、夜のお世話も逆につらくないのよ」

「コインロッカーベビー」に衝撃

 血のつながらない子どもたちと過ごすようになったきっかけは、小学生だった1970年代。「コインロッカーベビー」として社会問題化した赤ちゃんの遺棄事件に衝撃を受けた。

 保育士になり、2002年に里親に登録。実子3人は当時、小学4年から高校1年だった。でも、迷わなかったという。

 保育士の仕事も続けながら…

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