沖縄返還50年、小渕優子氏が課す「宿題」 原点は父が見た名護の海

有料会員記事自民

上地一姫
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 沖縄が米国から返還されて半世紀。長く政権与党の座にある自民党の議員は、その歳月にどう向き合っているのか。父と自らの歩みを重ね、小渕優子衆院議員(48)は自問を続ける。

 4月28日午後、衆院本会議場の壇上に小渕氏が立った。大きな拍手を受けて読み上げたのは、沖縄の本土復帰50周年の決議案だった。「沖縄の発展に取り組んできた幾多の先人に感謝の念を表し、その志を継承する」。経済の振興や米軍基地の負担軽減に努力することを盛り込んだ決議は、与野党の賛成多数で採択された。

 歴史を刻む決議で小渕氏が登壇したのは、「沖縄の問題に思い入れがある家系」(首相経験者)としての「小渕ブランド」が、政界に浸透しているからだ。「節目節目に沖縄を発信することが大事。ほっとした」。小渕氏はその役回りを確認するかのように、本会議後にそう漏らした。

 沖縄に向き合う小渕氏の原点にあるのは、父・恵三元首相の足跡だ。

 初当選の翌年の2001年春、小渕氏は沖縄サミット主要国首脳会議)の会場となった名護市の万国津梁館(しんりょうかん)を訪れた。その場所で1年前、首相だった恵三氏が長く海を見つめていたと聞いていた。

 日本では、それまで東京以外でサミットが開かれたことはなかった。当時の政府内では、警備上の理由などから沖縄開催への慎重論が根強かったが、「平和の世紀の建設を世界に発信する重要な機会」にしたいという恵三氏が押し切った。だが、恵三氏は会場を視察した1週間後に脳梗塞(こうそく)で倒れ、夏のサミットを前に世を去った。

 小渕氏は生前、父から沖縄の話を直接聞いたことは、ほとんどなかった。ただ、足もとに青く広がる名護湾を前に、父の思いがその姿と共に浮かび上がった。父は、戦争の爪痕をこの海に見ていた――。小渕氏は「沖縄」の重さに、改めて思いを致した。

当初は沖縄の問題を深く知らなかったという小渕氏は、父・恵三元首相の歩みをたどりつつ沖縄に通い続けました。返還から50年になる沖縄と、そこに向き合う自民党の変化に、何を思うのでしょうか。記事の後半で紹介します。

 戦後の首相の中でも、小渕恵…

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    曽我豪
    (朝日新聞編集委員=政党政治、教育改革)
    2022年5月8日16時46分 投稿
    【視点】

    かつて沖縄特措法を巡り、小渕恵三氏と同じ「経世会」の実力者二人が激しい闘いを繰り広げたことがあります。野党・新進党の協力を得て成立を目指す梶山静六氏と、自社さの政権の枠組みでそれを図る野中広務氏です。橋本龍太郎首相と新進党の小沢一郎代表との

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    林尚行
    (朝日新聞政治部長=政治、経済、政策)
    2022年5月8日10時4分 投稿
    【視点】

    駆け出しの政治記者だった20年前、永田町と沖縄の関係を「基地と振興」というテーマに落とし込み、橋本元首相や野中元官房長官、山中元自民党税制調査会長らを直接取材しました。橋本さん、野中さんから「もう一人、本来であれば話を聞くべき相手」として名