「ジャップ」と呼ばれたミネタ元米長官 生前に語った「深い傷」とは

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サンパウロ=軽部理人
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 「日系人強制収容されてから70年もの月日が流れ、米国は再び深刻な病を抱えている」

 日系人として初めて米政府の閣僚となり、3日に90歳で死去したノーマン・ミネタ元米運輸長官は生前、近年米国で表面化している人種間の「分断」に警鐘を鳴らしていた。強烈な差別を体験したからこそ、差別の解消や日系人の地位向上といった課題に政治家人生を捧げてきた。

 2018年11月、朝日新聞のインタビューに応じたミネタさんは、笑みを絶やさず、にこやかだった。だが第2次大戦時に強制収容所に入れられたことに話が及ぶと、表情が曇った。

 「想像してみてほしい。自分が生まれ育った国から急に『外国人』と呼ばれて収容所に入れられることを。ある程度の自由があったとはいえ、鉄条網に囲まれた暮らしは、まるで囚人のようだった。私の心にできた深い傷は今も残っている」

日系人差別 空室のアパート借りられず

 日系2世として米カリフォルニア州で生まれたミネタさんは、日本軍真珠湾を攻撃した後の1942年、一家でワイオミング州のハートマウンテン強制収容所に入れられた。当時のルーズベルト大統領が収容所の設置を認める大統領令に署名したためで、西海岸や周辺に住む約12万人の日本人・日系人が、7州10カ所に設けられた施設に収容された。

 戦後、収容所から解放されて…

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