第12回ぬくもりも乗せて走るよ広電は 運転士の卵が学ぶ「もう一つのこと」

遠藤真梨
【動画】「だから私は運転士になる」=遠藤真梨撮影
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 路面電車の街、広島。「広電」の愛称で親しまれる広島電鉄の運転士養成所を、昨年5月から8カ月間かけて取材させてもらった。

 取材前の打ち合わせで、こんなエピソードを聞いた。広島出身の先輩カメラマン(40代)が幼い頃の話。運転席の真横で進行方向をじっと見つめていると、運転士さんが自分の横にある補助席に座らせて、運転席からの眺めを見せてくれたという。「あれだけは覚えているんだよね」。うれしそうに話す先輩に、広電の広報は「おおらかな時代だったのかもしれません」と苦笑した。

 確かに、広電はおおらかな気がする。それに、公共交通機関という言葉ではおさまらない、人のぬくもりがある。

【連載】広島電鉄物語

広島の街をいつも黙々と走り続け、親しまれている広島電鉄(ひろでん)の路面電車。被爆電車をはじめ、その車両にちりばめられた様々な歴史や人の思いを伝えていきます。

 信号が変わっても一向に電停から動かず、何事?と思えば、乗車したお年寄りが席に腰を下ろすまで待っていた。電停目がけて走って来る人がいれば、発車せずに待っていてくれることもある。いずれの話も、裁量は運転士にあるということだ。一体、どんな環境で運転士は育つんだろう?そんな思いで、養成所をのぞいた。

「コーヒー飲もか?」教習生の心ほぐす1杯

 開講式から2カ月後の7月、路上での運転訓練が始まった。車でいえば「仮免運転」だ。訓練車に乗り込むと、これまでの取材のときと、明らかに雰囲気が違う。教習生の顔がこわばっている。すると、「おーい、カメラ回っとるところで緊張すんなよー。教室のときの顔と違うでー」と教師が発破をかけた。どっと笑いが起こると、教習生たちはいつもの顔に戻った。

 運転だけでも大変なのに、その上にカメラが入って緊張していることを察した計らいだった。

 交代しながら運転が進み、こなれてくると、運転席に座る同期を冷やかすようになった。そこですかさず、「プレッシャーに負けちゃいけんけんね。悪いやつ多いからね」。冷やかしも笑いに変えて励ます。

 講習を終えても、目配りは続く。教習生が養成所の事務所に顔を出すと、すかさず「コーヒーでも飲もか?」と呼び止める。返事を待たずに温かいコーヒーを入れ始め「調子はどんなや?」と近況を聞くと、教習生はぽつりぽつりと悩みを話しだした。

 教師はいつも、先回りして教習生たちを包み込んでいた。

 印象に残っている場面がある。12月、国家試験を翌週に控えた講習で、教習生の1人が試験結果に響く失敗をしてしまった。その時だ。「今日失敗して良かった。今日失敗するのはなんぼ失敗してもええんじゃけ。責任は養成所の先生が見る」。教師たちは温かく、懐も深い。こんな風に育てられているから、人にも温かく接することができるのだと納得した。

他社の運転士も育てる理由

 懐の深さと言えば、もうひとつある。他社の教習生も受け入れて育てていることだ。

 今期は、2023年に開業する「宇都宮ライトレール」の運転士候補生を受け入れていた。路面電車の運転士養成を担う場所は全国に計8カ所ある。しかし、広電が唯一違うのは、免許取得後も指導者と二人三脚の運転訓練を継続し、1人で営業路線に出るための試験を設けているところだ。

 いずれ広電から巣立ってしまう他社の教習生にまで、熱心に指導するのはどうしてなのか。養成所の所長に聞くと「街づくりに貢献できる運転士を育てたい」と答えが返ってきた。

 そこには、被爆地ゆえの背景があった。広電は原爆投下3日後には一部区間で運行を再開させた。多くの社員が殉職し、車両や架線が被害を受ける中、少しずつ復旧を進め、電車を走らせた。すると、焼け野原に少しずつ「街」が戻っていった。その姿に「路面電車が持つ街づくりの力」を感じたのだという。「広電で育った運転士が全国に羽ばたいて、その街の発展につながってくれたら」と、話してくれた。

 あれからもうすぐ1年を迎える。晴れて独り立ちした運転士たちが運転する路面電車に、乗りに行こうと思う。(遠藤真梨)

連載広島電鉄物語(全10回)

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