オシムさんが歓迎した「ルール破り」独特な練習で鍛えられた日本代表

中川文如
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 イビチャ・オシムさん(享年80)のサッカー日本代表監督としてのキャリアは、わずか1年半で幕を閉じた。

 ただ、「考えながら走る」という言葉に象徴されるシンプルで奥深い哲学は、確実に代表選手たちに浸透していた。

 いまと違い、代表の大半を国内組が占めていた時代。オシムさんはJリーグの日程のすき間を縫うように練習合宿を重ね、多色ビブスを駆使した独特で複雑なメニューによって選手を鍛え上げていた。

 就任から1年近く経った2007年5月の合宿で、確かな成熟を感じさせる場面があった。

 常に実戦を想定するオシムさんにしては珍しく、守備役をつけない攻撃練習だった。

 2人でパスをつなぎながらゴールに迫る。ここぞというタイミング、ここぞというスペースを見極めて3人目が飛び出し、シュートを放つ。

 指示は「敵が守っていると想像しながら、アイデアを出せ」。

 すると、「ルール破り」となる4人目の攻撃参加をうかがう選手が、立て続けに現れた。

 隙あらば、オレも。ピッチは緊迫感に包まれる。しばらく経って守備役が配置された。攻撃側のアイデアがさらに研ぎ澄まされていったのは、言うまでもない。

 何かにつけて臨機応変さを求めるオシムさんは、自主的なルール破りを歓迎した。

 チーム発足時、そんな動きを見せたのは、彼がジェフ千葉監督時代に手塩にかけた阿部勇樹羽生直剛らのまな弟子たちだけだった。

 そこに、田中マルクス闘莉王(当時浦和レッズ)らが、徐々に同調していった。

 「ブラボー!」とオシムさんを喜ばせる回数が増えていった。

 やがて、ルール破りというオシムさんの流儀は「日常」になっていた。

 中盤の軸に指名されていた遠藤保仁(当時ガンバ大阪)は、こう言って手応えを深めていた。

 「オシムさんが狙っていることは、理解できている」

 あの代表が、そのまま階段を上り続けたら、どんなにスペクタクルなチームができあがっていただろうか。中川文如

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