戦争、基地、壊れた家族 流浪の果てに見たこの国の姿

有料会員記事沖縄・本土復帰50年

山中由睦
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 沖縄から約1万キロ離れた米国ロサンゼルス。上江洲(うえず)清さん(83)は50年前の1972年5月15日、ここで芝刈りの仕事をしていた。

 昼過ぎ、沖縄出身の同僚が駆け込んできた。「わったー(私たち)のうちなー(沖縄)が、日本復帰したぞ」。すぐ車に乗り、2人で日本人街へ向かった。

 車内のラジオから復帰のニュースとともに、歌が流れる。

 ♪常夏の国、我(わ)した島、沖縄(うちなー)♪

 沖縄民謡「芭蕉布(ばしょうふ)」だ。「復帰した沖縄を見てみたい」。14年前に離れた故郷の青い海と空を思い出し、涙があふれた。

   ◇   ◇

 戦前に南洋諸島で生まれ、戦時中に沖縄本島中部の具志川村(現うるま市)へ引き揚げた。

 一家は、1945年の終戦間際の激しい沖縄戦を生き抜いた。しかし、母は米軍の爆撃の影響で耳が聞こえなくなり、父は意思疎通ができないといらだって、母に暴力を振るった。その父も米軍のトラックに追突されてけがを負い、うつ病になった。

ブラジルアルゼンチン、アメリカ…世界を転々

 沖縄を支配した米軍は当時…

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