沖縄密約認め、「捨て得」不問にした司法 みせかけの民主主義の下で
1972年に沖縄返還をめぐる密約をうかがわせる外務省の機密電信文を入手して逮捕され、有罪となってから、四半世紀近い月日が流れた。2000年代に入り、密約を裏づける米公文書が見つかり、当時の交渉責任者だった外務省元アメリカ局長の吉野文六氏も「密約はあった」と証言した。しかし、国に謝罪と損害賠償を求めた裁判では、不法行為から20年が過ぎると損害賠償を求めることができないとする「除斥期間」を理由に、門前払いされた。それでも、元毎日新聞記者の西山太吉氏は次なる闘いへ踏み出すことを決めた。(諸永裕司)
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「知る権利」のために再び
西山太吉氏はあきらめなかった。
アメリカで機密解除され、日米政府高官のイニシャルが記された密約文書の開示を国に求めるという。みずからの名誉回復より、国民のだれにも関わる「知る権利」を問う戦略に転じたのだ。
2008年夏、外務省と財務省への情報公開請求には、呼びかけに応じた63人が名を連ねた。国が「文書不存在」を理由に「不開示」決定を出すと、この決定の取り消しを求めて25人が提訴した。
すでに内容を知っている米公文書と同一の文書の開示を求めるのは、国民を欺いて密約を結び、国民に噓をついて密約を否定してきた国の責任を問うためだった。日米間の秘密合意文書は「国民共有の知的資源」(公文書管理法)であり、存在しないのであれば、その理由について合理的な説明をする責任が国にある。
原告側の小町谷育子弁護士は報道陣に向けた文書に、こう記した。
〈この裁判は、原告の1人の名誉回復のためのものではありません。原告25名のためのものでも、沖縄市民のためだけのものでもありません。結果として、日本のすべての市民の知る権利に影響するものなのです。私たちの知る権利が真に保障されているのかを問うことが、この裁判の目的です〉
原告が提出した準備書面には、こう書かれていた。
〈No records、 no history〉
提訴から半年後、密約の解明を掲げる民主党政権が誕生する。
「(沖縄密約事件では)政権中枢や外務省関係者は明白に虚偽の証言をした。検察の調べに対しても、上から下まで虚偽の供述を重ねていたのです」 。元検事総長の松尾邦弘氏は、朝日新聞のインタビューにこう話していました。 いま、事件が問いかけるものは。記事後半でお伝えします。
密約と国の噓、司法は認める
さらに半年あまり過ぎた20…