「祝復帰」校庭走り出した先生 「沖縄」から逃げてきた男性の転機

有料会員記事沖縄・本土復帰50年

矢島大輔、比嘉太一
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 ずっと「沖縄」から逃げてきた。転機は、1972年5月15日に訪れた。

 その日、当時25歳だった具志堅(ぐしけん)和男さんは、通っていた大阪市定時制高校のグラウンドにいた。体育祭が開かれていた。

 競技の合間、ある先生が突然グラウンドを走り出した。満面の笑みで、のぼり旗を掲げて。こう書かれていた。

 「祝 沖縄の日本復帰

 具志堅さんはぼうぜんと旗を見つめた。

 幼少の頃から「沖縄」には複雑な思いがあった。

 「おまえら、ヘチマや豚足を食べるんかい」

 沖縄ではどちらも家庭料理の定番だ。両親が沖縄出身だった具志堅さんは、ずっと周りの子にからかわれてきた。

 「言い返すこともできず、逃げるか黙るかしかなかった」

 日雇い労働者が集まる大阪市西成区で生まれ育った。小学生になる前に母が病死し、中学生のときに父が工事現場の事故で亡くなった。

なぜ先生は走ったのか   パスポートを焼き捨てた先輩たち

 トラック運転手として働いていた18歳のとき、初めて沖縄を訪れた。米国の統治下にある時期で、まだパスポートが必要だった。

 温かく迎えてくれると思ったルーツの地では、こう言われた。

 「あんたはヤマト(日本)の子やからね」

 日本にも、沖縄にも、自分の居場所はないように感じた。「すっかり自信をなくし、沖縄から逃げていました」

 学び直そう。そう思って24歳で入った定時制高校に、出会いが待っていた。

 「沖縄の人間やから、沖縄の…

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