沖縄返還ってなに?裏には数々の密約も いちからわかる復帰50年

沖縄・本土復帰50年

木村司
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 沖縄が日本に復帰してから5月15日で半世紀を迎え、沖縄県内でも「復帰」を知らない世代が多くなっています。一方で、今も「真の復帰とは何か」といった問いが続いています。なぜ、復帰を考えるのか、全国の人たちの暮らしとどうかかわっているのか。まとめました。

Q 「復帰」って何のこと?

A 沖縄は戦後27年間、米軍の統治下に置かれました。日本国憲法が適用されず、立法・行政・司法といった施政権は米国が握っていました。その施政権が1972年5月15日に日本に返還されたことを、沖縄の日本復帰と呼んでいます。

米軍が27年間支配、日本国憲法の外に

Q どうして米国に支配されたの?

A 日米が戦った太平洋戦争の末期、沖縄では激しい地上戦が行われました。日本は本土への上陸を遅らせようと、沖縄で時間稼ぎの作戦を立て、戦闘が長引いた結果、県民の4人に1人が亡くなったと推計されています。米軍は沖縄本島などを占領し、日本本土への出撃拠点としました。

 1945年8月に日本は無条件降伏を受け入れ、米国を中心とする連合国に占領され、米軍は全国各地に駐留しました。その後、日本は米国などと結んだサンフランシスコ講和条約(1952年発効)によって独立を回復しますが、沖縄は、奄美(53年復帰)や小笠原(68年復帰)とともに日本から切り離されました。

Q 米軍統治下の沖縄ではどんなことが起きたの?

A 東西冷戦の時代、米軍は沖縄を「基地の島」「太平洋の要石」として軍事拠点化しました。外形的には軍政府を民政府に衣替えしましたが、53年には、持ち主の同意なしに土地を接収できる「土地収用令」を公布。武装兵が住民を強制排除し、ブルドーザーで田畑や家屋をつぶして基地に変えていきました。その強権ぶりは「銃剣とブルドーザー」と呼ばれます。

 1950年代は、独立後の日本本土にも多数の基地があり、沖縄と同様に基地への反発が高まりましたが、本土では基地が大きく減らされ、一部は沖縄へ移されました。

 沖縄では、6歳の女の子が米兵に性的暴行を受けて殺害される事件や、小学校に米軍機が墜落して児童ら17人が死亡する事故など、米軍関係の事件・事故が多発しました。沖縄側に米軍人らを裁く権限がなく、理不尽な無罪判決が少なくありませんでした。

Q 復帰は、どうやって実現したの?

A 強制的な土地接収に対する「島ぐるみ」の運動など、米軍の圧政に対し、住民は声を上げ続けました。60年に教職員や様々な住民組織によって「沖縄県祖国復帰協議会」が設立され、復帰運動が本格化します。基本的人権言論の自由のない状態から「平和憲法の下への復帰」がスローガンとなりました。

日米、それぞれの思惑

 佐藤栄作首相は65年8月、日本の首相として戦後初めて沖縄を訪問し、「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国にとって戦後が終わっていない」と演説。米側との返還交渉を進めていきます。

 このころ米国は、ベトナム戦争に介入するなか、自由に使える沖縄の基地の重要性が高まる一方で、戦争の泥沼化で苦しい財政事情を抱えていました。沖縄を日本に返すことで統治や基地維持にかかる費用を抑えながら、基地の自由使用を引き続き確保することをめざします。

 沖縄返還を求める声と基地への反発は、日本本土でも沖縄でも広がり、日米関係を安定化させる必要にも迫られていました。

 日米は69年11月、沖縄を72年に返還することで合意しました。

Q 沖縄の願いがかなったんだね?

A そうとは言えません。日米は沖縄の基地負担を「核抜き・本土並み」とすることを基本方針としましたが、現実はその逆ともいえる結果となりました。

核密約、基地の自由使用・・・広がった不安

 日米交渉の最大の焦点は、沖縄に配備された「核兵器」の扱いでした。佐藤首相は67年、被爆国としての世論を背景に「非核三原則」を表明し、米国に沖縄からの核の撤去を求めます。しかし、最終的にニクソン大統領との間で「重大な緊急事態の際には、米国は再び沖縄に核兵器を持ち込む」という合意議事録をひそかに交わしました。この「核密約」は94年以降、関係者らによって明らかになります。

 「本土並み」についても、沖縄の基地使用が制約されることを避けたい米側に対し、日本政府は本土と同様、沖縄にも日米安保条約を適用することを目指し、米側と合意します。一方で、米軍が基地を復帰前と同じように使うことを認める合意が秘密裏に交わされるなどしました。

Q 復帰の日はどう迎えたの?

A 復帰後も米軍基地が残ることが分かってくると、「基地のない平和な島」を望んでいた沖縄の住民には、不安や失望が広がっていきました。

 復帰記念式典で、佐藤首相は「戦争によって失われた領土を平和のうちに外交交渉で回復したことは史上きわめてまれ」と歴史的偉業を強調し、「日米友好のきずなの強さを痛感する」とあいさつしました。一方、沖縄の屋良朝苗(やらちょうびょう)知事は感激や日米政府への感謝を述べた後、「必ずしも私どもの切なる願望がいれられたとはいえないことも事実であります。これからもなお厳しさは続き、新しい困難に直面するかもしれません」と語っています。

復帰とは 問いは今も

Q 50年が経って、問題は解決したの?

A 現在も、全国の米軍専用施設の7割が、国土面積の0・6%しかない沖縄に集中するなど、復帰時の問題は残されたままです。

 米軍に「特権的」ともいわれる地位を認めた日米地位協定によって、米軍が関係する事件事故は捜査に制約がかかり、司法が違法と何度も認めているにもかかわらず米軍機の騒音被害は制限できません。近年は、環境汚染や感染症でも、協定によって原因究明や対策が妨げられる事態も発生しています。

 「真の復帰とは何か」。そうした議論が今も続くゆえんです。(木村司)