カヌーから「復帰っ子」は沖縄の未来思う 復帰50年の平和の海は?

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野上隆生
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現場へ! 命輝け!大浦湾

 「平和の鐘」の澄んだ音が8回、大浦湾に響いた。

 4月25日。ウクライナミャンマー、そして沖縄戦……。世界中で絶えることのない軍隊による犠牲者を悼んで、海上集会は黙禱(もくとう)から始まった。

 5年前のこの日、沖縄県名護市辺野古米軍基地建設現場で海上工事が始まった。政府は大浦湾で「K9」と呼ばれる護岸に着工。ここを桟橋がわりに運搬船で運んできた土砂を、大型ダンプで岬を隔てた辺野古南岸の埋め立て現場まで運ぶ。陸上からの搬入分と合わせて、海の破壊が本格化した。

 重機がうなる工事現場を背に、カヌー36艇、抗議船6隻が、立ち入り禁止を示すオレンジの浮き具近くに集合。戦争を準備する基地建設に反対し、核兵器廃絶を訴える「声明」が読み上げられた。

 目と鼻の先に、兵舎が並ぶ米軍キャンプ・シュワブ、やや北に高さ30メートルほどの崖が連なり、その上に辺野古弾薬庫がある。

 名護市教委などによると、沖縄戦末期の1945年に米軍駐留部隊基地ができ、46年1月まで「大浦崎収容所」として2万人を超す住民が送り込まれた。米軍は57年から周辺の土地を接収。59年には沖縄で初の米海兵隊が常駐する基地が完成した。

 72年に米国から返還される前の沖縄には、1200発超といわれる核兵器が保管されていた。多様な生きものでにぎわう大浦湾を眼下に臨む辺野古弾薬庫にも、生きものを殺し尽くす核兵器が大量に眠っていた。「声明」が核兵器廃絶にまで触れた理由でもある。

 復帰時に核兵器は撤去されたが、日米間で「核持ち込み」の密約が交わされていた。その弾薬庫は最近施設の建て替えを終え、今も周辺の森を伐採してゲートの新設工事が続く。

 カヌーで集会に参加した作家の目取真(めどるま)俊さん(61)は、この工事の状況を自身のブログに、「将来、核兵器貯蔵の動きが顕在化するかもしれない。ここでも『復帰』50年の醜悪な光景が露出している」とつづった。

 「復帰50年というけど、敗戦からは77年。いまだに外国の軍隊の基地を造ろうということ自体、本来異常なこと」。目取真さんは集会後にそう語った。

 カヌーチームには復帰の年に生まれた「復帰っ子」もいる。安里邦夫さん(49)。宜野湾市普天間飛行場そばで生まれ、「基地があってあたり前」の環境で育った。だが、仕事で名護市にいたころ長男が生まれ、「子どもの将来を想像すると、基地は嫌だ」と考え始めた。

 抗議中、警備の海上保安官に…

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