本因坊の獲得後、師匠からの呼び出し 石田芳夫「生涯の一局」生んだ
生涯の一局とは、一手とは何か――。記者が問うと、朗らかだった石田芳夫九段の顔から表情は消えた。59年分の記憶をたどるように一点をしばらく見つめた後で「ちょっと棋譜用紙を持ってきますね」と立ち上がった。
この春の叙勲で囲碁の二十四世本因坊秀芳・石田芳夫九段が旭日小綬章を受章した。1963年に入段(プロ入り)し、来年で現役60年を迎えるレジェンド。今も盤上で戦い続ける73歳に、北野新太記者が未来を聞いた。
机上に用紙を置くと、青と赤のボールペンを交互に走らせて50年前の決戦を再現していく。「昭和47(1972)年の本因坊戦第1局です。挑戦手合で出した序盤の新手なので思い出深いですね。林さん(林海峰(りんかいほう)名誉天元)は『初めて見た』って顔、してたなあ」。半世紀前の棋譜を精査する73歳から垣間見えたのは「コンピューター」の相貌(そうぼう)だった。
71年、史上最年少(当時)の22歳で本因坊になった。74年には坂田栄男二十三世本因坊、林名誉天元に次ぐ史上3人目の名人・本因坊に。クールな形勢判断と精密機械を思わせる計算力により、付いた異名は「コンピューター」。正確無比に読み切った半目勝ちを大舞台で何度も披露した。AI研究が定石化した現代碁の渦中を生きても、ニックネームが与えた矜持(きょうじ)を失ってはいない。
「AIに負けてたまるかと…