歌手の島袋寛子さん、基地を語る覚悟 「争わず話し合うことを」
1990年代に活躍したダンスボーカルグループ「SPEED」のメンバーで、歌手の島袋寛子さん(38)は、移設が問題になっている米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)のそばで育ちました。大人になって沖縄へ頻繁に戻るうち、幼い時とは違う基地の姿が見えるようになり、複雑な思いを抱くようになっていきます。「復帰50年は、基地について話すタイミングだと思いました」。覚悟を決めて、自身の考えを話してくれました。
――11歳で上京するまで、沖縄でどんな幼少期を過ごしましたか。
「祖母は自宅で沖縄民謡を聞き、母はジャズバーに私を連れて行くような家庭で育ちました。(伝統演舞の)エイサーや祭りといった楽しい音楽も身の回りにあふれていて、小さい頃から歌うことが大好きでした。海を眺めながら、この海の向こうの世界を夢見て、日本や世界で活躍できるような歌手になりたいと思っていました」
しまぶくろ・ひろこ
歌手。1984年生まれ。SPEEDのメンバーとして12歳でデビュー。2013年には、自身のルーツを見つめ直すため、沖縄の楽曲のカバーを中心にした「私のオキナワ」を発売した。ミュージカルや映画など多方面で活動している。10年前からは、地元のラジオ番組「島袋寛子のいいね!OKINAWA!」でパーソナリティーを務めている。
――なぜ、小さい頃から島外に目が向いていたんでしょうか。
「3歳から歌やダンスを学ぶ沖縄アクターズスクールに通った影響です。アクターズスクールは、MAXさんやDA PUMPさんを輩出した有名芸能スクールです。ジャネット・ジャクソンさんの音楽で踊ったり、アフリカンダンスを習ったり。世界を基準に物事を考える空気がありました。でも、それだけではなく、米軍基地の存在も大きかったかもしれません」
「アメリカってどんなところだろう」島外へ意識広がるきっかけに
――どういうことでしょうか。
「普天間飛行場のそばに住ん…
- 【視点】
沖縄で「米軍基地」といえば、物理的な距離の近さと同様に、避けては通れない日常風景の一部です。しかし、島袋さんが「覚悟を決めて」挑まなければいけないほど、実際、地元では語られにくいテーマの一つ。それは、島袋さん自身が有名人であるということ以上