第2回間寛平GMが描く、新喜劇の未来 「僕も入れて110人で競いたい」
吉本には、もう一つの「110」物語がある。昔話とちゃう。今、新喜劇には110人のメンバーがいる。GM(ゼネラルマネジャー)は間寛平。な~ぜ~じゃ~。
「ついに見つけました」
寛平はうれしそうに言う。新喜劇の座員から「逸材」を見いだしたらしい。
どんな新星かと思いきや、「20年間、ただの1回もウケたことがないやつがいるんです」。
万年すべりっぱなしで浮上せず。名前は松本慎一郎、この春40歳に。芸人人生としてはコケすぎだが、寛平は別の見方をしている。
「すごい。(逆に)いけるんちゃうか。(競馬で全敗して伝説になった馬)ハルウララみたいや。今度はウケるやろと思っても、またすべる」
ライトの当たらない芸人を、いかにひのき舞台に引っ張り上げるか。
吉本新喜劇とは
1959年、前身の「吉本ヴァラエティ」として、うめだ花月でスタート。チャーリー浜の「……じゃあ~りませんか」、島木譲二の「パチパチパンチ」など数々のギャグを生み出してきた。
そのために、座員ひとりひとりと面談したり、悩みを聞いたり。それが最近の寛平の仕事になっている。
なぜって、今年寛平に新たな肩書がくっついたから。
「GM」。新喜劇の座員を束ねるトップとして、自分を含め110人いる新喜劇をもり立てる。
2月に東京で開かれた就任会見には、ド派手なピンクのスーツで登場した。
「まいど~」。開口一番、おなじみのフニャ~とした声であいさつ、尻を突き出し「かい~の」を披露する。
そしてズバッと。「必ず、スターを生み出します」
寛平は本気だ。いつも「アヘアヘ」しているだけではない。なめてきた辛酸は群を抜いているだけに。
70年代は借金地獄に陥る。複数の連帯保証人になり、すべてが暗転。80年代、起死回生を図って世に出した「アメマバッジ」10万個はさっぱり売れず、6千万円の借金をさらに背負う。
しかし、その数年後には海外…
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