「自分は一方通行だった」 謹慎処分の名将が思い出した米国の風景

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安藤嘉浩
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 履正社高校(大阪)は2019年夏の第101回全国高校野球選手権大会で念願の全国制覇を果たした。チームを率いた岡田龍生・前監督(60)=現・東洋大姫路高校監督=は「本当はその前に頂点に立つべきだった年がある」と語る。あの大型左腕と強打者がいたチームだった。

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 ぼくが履正社の教員になったのは、26歳になる1987年。最初は部員が20人ほどしかおらんかった。指導者が半年間いなかったようで、練習しとるのか遊んどるのか分からんような雰囲気やった。しばらくは2、3回勝つのがやっとというチームだった。

 履正社は今も寮がない。生徒は基本的に自宅通学だから、その分、練習時間は限られる。約3時間をいかに有効に使うか。若い頃は激しい練習で選手を追い込んだ。97年夏に甲子園初出場を果たしたが、また出られなくなった。

 生徒に手をあげ、半年間の謹慎処分を受けたのは2001年秋のことだ。

 謹慎中はグラウンドに行くことすらできない。本当につらい時間だった。

 何よりも、生徒に申し訳ない。

 「高校野球ができるのは2年数カ月しかない。時間を大事にせえよ」といつも言っていたのに、大切な時間を一緒に過ごしてあげられない。二度と同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。

 時間がある分、色んなことを考えた。

 自分の指導は独りよがりだったんやないか。一生懸命に教えているつもりだったが、ちゃんと生徒は吸収してくれているんやろうか。

 ふと思い出したのは大学時代…

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