スカイツリーから突然のお便り「本物?」 小さなあられ屋に届いた縁

池田良
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 11年前の春の日、宮城県の小さなあられ屋に1通の注文メールが届いた。10種類のあられをそれぞれ1袋ずつ。それが、東京スカイツリーとの縁の始まりだった。

 16日、宮城県南部の亘理町。ビニールハウスの中で、2センチ四方の一口サイズのもち米の生地が大量に網に並び、日差しを浴びていた。30分から1時間おきに網が持ち上げられ、「バサバサッ」と生地が宙を舞う。数日かけて均等に表裏を天日干しにし、手触りで乾燥具合を見極める。すべて手作業だ。

 「創業時からの信念、魂をあられに込めています」。店の取締役の石田亮平さん(39)は話す。妻の美智代さん(47)ら計8人で切り盛りする店「みやぎのあられ」は、父で先代の定克さん(71)が1976年に創業した。原料のもち米の栽培から一貫して手がける。

 2011年の東日本大震災では、工房や従業員は無事だったが、販売先が被災し、流通経路も一時寸断された。店は存続の危機に陥り、首都圏で催される被災地支援の物産展であられを売り、しのいだ。

 メールが届いたのは、そんな時だった。スカイツリーの運営会社からの注文だった。「本物かな」と半信半疑だったが、納品してほどなく店の電話が鳴った。夏には運営会社の担当者が店に訪れ、公式ショップでのあられ販売を打診された。素材を生かした味わいと長年のこだわり。それが選定の理由だった。

「こんな場所で本当に売るんだ」

 ツリー開業直前の見学会に招かれ、展望デッキから眼下の街並みを見下ろした時、「こんな有名な場所で本当に売るんだと、喜びと期待が膨らんだ。半面、全国の名菓と並び、わたしたちのあられが売れるのか」。そんな不安も覚えた。月1500袋ほど納品し、取引は続いた。店の魂が評価されてきた。

 縁は商取引だけにとどまらなかった。震災2年後、店は町の子どもたちを元気づけようと、都内観光を計画。そのことを知った運営会社の担当者が、グループ会社を通じ、大型バスと1泊2日の旅行を手配してくれた。宮城県に担当者が出張に来た時は、会食するなどして店や被災地の実情などを伝えた。ロゴやパッケージなど商品の価値を高める助言や提案をもらい、「ビジネスとしても鍛えていただいた。人情に富む交友ができ、店に希望と機会を与えてもらった」と感謝する。

 この縁を機に、あられの評判や販路は広がった。JR東日本の豪華寝台列車「トランスイート四季島」で運行開始の17年から1年半、乗客に配られた。19年に大阪市で開かれた主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)でも世界の要人に振る舞われた。

 コロナ下で20年春にスカイツリーが一時休業し、あられの販売も休止となった。スカイツリーの来場者の回復をみながら、今年夏以降に販売を再開したい考えだ。

 スカイツリーは22日に開業10年を迎えた。石田さんは「田舎の小さな店に光を当ててくれた。感謝とともに、スカイツリーに恩返ししたい」と話す。(池田良)