第1回逃げ込んだアゾフスターリ 66日間の地下生活 私はこう生き延びた

有料会員記事ウクライナ情勢

ウクライナ西部ブコベル=坂本進飯島健太 坂本進
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 スープねえさん。

 彼女は「地下」で、そう呼ばれていた。

 ウクライナ南東部マリウポリの製鉄所「アゾフスターリ」の技術者だったナタリア・バブーシさん(35)が、夫のボロディミルさん(42)と製鉄所の地下シェルターに入ったのは3月2日。ロシア軍が街を包囲し始め、自宅で銃声を聞いた。

 「いよいよ避難しないといけない」。2日間のつもりで、製鉄所に逃げ込んだ。まさか、66日間もいるとは思っていなかった。

 着いたその日、製鉄所の配電施設が爆撃され、電気が通じなくなった。

 懐中電灯やろうそくの明かりのもとでの、薄暗い生活が始まった。

 避難したのは4階建て工場の地下1階。50平方メートルほどのコンクリートに囲まれた空間だった。

 3月上旬で、外も地下も凍えるような寒さだった。ラジオの天気予報で、最低気温が零下12度になると予想した日もあった。

 十分な毛布や防寒着がなかったため、極寒の夜は夫と身を寄せ合い、一睡もせずに過ごした。

【連載】アゾフスターリ 「地獄」で何が起きたか

製鉄所「アゾフスターリ」では、300人超の市民が地下シェルターで約2カ月過ごし、5月上旬に製鉄所から脱出しました。朝日新聞は退避した市民8人に死と隣り合わせだった地下生活の実態を聞きました。

 爆撃は何日も続いた。近くで爆発が起きると、そのたびにシェルターは大きく揺れた。

 帰ろうにも、怖くて外に出られない。時間だけが過ぎていった。

 避難開始から数日が経ったとき、シェルターの倉庫には150食分のパスタや米と缶詰が残っていた。

 そのときシェルターにいた約30人で分け合うと、1日1食にしたとしても1週間ももたない。食べ盛りの子どもも何人もいた。

 避難が長引けば、食べ物がなくなる――。

 どうすればいいのか。

 「スープねえさん」が動き始めた。

 それまで食事は、家族単位で…

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