第2回「地獄」に様変わりした製鉄所、生き残って記録を残す 元職員の決意

有料会員記事ウクライナ情勢

ポーランド西部ポズナニ=坂本進
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 「この地獄から抜け出せたら、そして、家族が全員無事だったら、私は必ずこの経験を本にする」

 地下生活の初めての夜、セルギイ・ドフノさん(61)は自分にそう誓った。

 3月1日、ロシア軍の攻撃が激しさを増すなか、長年勤めたウクライナ南東部マリウポリの製鉄所「アゾフスターリ」に家族とともに逃げ込んだ。

【連載】アゾフスターリ 「地獄」で何が起きたか

製鉄所「アゾフスターリ」では、300人超の市民が地下シェルターで約2カ月過ごし、5月上旬に製鉄所から脱出しました。朝日新聞は退避した市民8人に死と隣り合わせだった地下生活の実態を聞きました。

 この日の朝、自宅の目の前にロシア軍の砲弾が落ちた。庭には深さ4メートルほどの穴が開いていた。

 間一髪だった。自宅から避難することにした。

妻や息子、2匹の猫、1匹の犬と一緒に避難

 息子が避難先に選んだのは、彼の職場でもあるアゾフスターリだった。

 ドフノさん自身も、高校卒業後から製鉄所で30年以上、働いてきた。子どもの頃から製鉄所内のトンネルで遊び、就職してからは配管の設置などを担ってきたため、製鉄所の地下の構造やシェルターについてはよく知っていた。

 でも、まさか自分たちが避難者として世話になるとは思ってもなかった。

 避難は妻と息子、2匹の猫、1匹の犬も一緒だった。

 4階建ての工場の地下1階にあるシェルターには、昼過ぎに到着した。すでに29人が先にいた。

 午後2時ごろ、爆撃が始まると、避難者たちはシェルターの分厚い扉を内側から閉めた。

 あっという間に夜が来た。

 その夜、爆撃は断続的に続いたが、シェルター内は無事だった。頑丈そうで少し希望が持てた。

 「生き残らなければいけない。絶対生き残る」

 このとき、地下生活の記録を始めることにした。

 もともと趣味で小説を書いていた。地下生活で見たものはすべて忘れないようにしようと決めた。

 後から書いた記録は、例えばこんな具合だ。

 「3月4日 気温夜-4、昼…

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