仲間の顔も、時計も見えないけど プロサッカー選手がめざす「世界」

内田快
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スポーツ好奇心

 黒いゴーグルをはめている以外は、松本光平のプレーを見ていても違和感はない。

 5月のある夜。兵庫・芦屋市立体育館であったフットサルFリーグ2部のデウソン神戸の練習を見た。

 松本は2年前の事故で視力のほとんどを失い、それ以来、「目の見えないサッカー選手」として注目される機会が増えた。

 仲間と息を合わせて、ポジションをめまぐるしく変える。キュッ、キュッ。小気味よいドリブルで相手をかわしていく姿もあった。

 「ゴーグルは目の保護と、ライトの刺激が痛いので着けています」

 何も着けずに走ると乗り物酔いのような状態になると言う。

 「ホワイトボードを使って監督が説明していたとき、わかっているような顔をしていましたけど、見えていません」

 いたずらっぽい表情を浮かべて言った。

 では、監督の指示をどうやって理解しているのか。

 「ボードに何と書いてあったかは、あとで監督や仲間に聞いているんですよ」

 練習後、視覚障害がある人が歩行する時などに使う白杖(はくじょう)を取り出しながら、そう教えてくれた。

 右目はほぼ失明しており、左目もぼんやりとしか見えない。チームメートの顔のパーツはわからないので、シルエットやシューズの色で見分けている。

 時計は見えないので、時間は仲間に聞いているという。

 大阪出身の33歳は、幼稚園のときにサッカーを始めた。

 「スポーツは得意だったが、サッカーだけは上手にできずに悔しかったから続けた」

 中学時代はセレッソ大阪の下部組織にいたが、高校ではライバルのガンバ大阪ユースに「禁断の移籍」をした。「中学のとき、一度もガンバに勝てずぼこぼこにされていて。上のレベルで成長したかったので」

 日本ではプロになれなかったが、オセアニア地域でプロのキャリアを積んできた。

 目標は、世界の地域ごとのナンバー1クラブが集まるクラブワールドカップ(W杯)出場だった。「アジアや欧州の代表になるのは難しいがオセアニアは穴場。クラブW杯に出て、世界と戦いたかった」

 19年、ヤンゲン(ニューカレドニア)というクラブに身を置いていた。

 チームの拠点は、都会の空港から車で6~7時間、未舗装の道路を走ったところにあった。スーパーもなく、チームメートはワラの家に住んでいたり、やりを持っての「狩り」を職業としていたり。「過酷な環境でもボールを蹴っている。価値観が広がった」

 その仲間たちと、オセアニア王者としてクラブW杯出場を果たした。初戦負けだったが、長年の夢をかなえた。

 その翌20年5月のことだった。ニュージーランドでトレーニングをしていた。壁面に金具で取り付けられたチューブを引っ張っていた。金具が外れ、右目に刺さった。

 「鏡を見ると曇っていたが、拭いても拭いても曇ったままで。それで左目もおかしくなっていると気づいた」。左目にはチューブが直撃していた。

 チームメートの子ども2人がよくぶらさがって遊んでいたチューブ。「大人でさえ、これだけの衝撃だった。当たったのが子どもたちじゃなくて、自分で本当に良かったと思う」

 日本に帰国し、手術を受けた。視力は戻らなかったが眼球摘出は免れた。

 ガンバ大阪の現キャプテンでユース時代の先輩のMF倉田秋(33)らが手術費のために募金活動をしてくれた。

 サッカーから離れる気はなかった。

 「こんな視力になったが、もう一度クラブW杯に出たい。前回の結果にも内容にも納得がいっていないから」。ニュージーランドのチームも契約をしてくれたが、新型コロナウイルスの影響で入国できず、ここ2年は国内で個人で練習を積んできた。

 最初は球や人との距離感がつかめず、トラップもできなかった。ケガによって、人が密集した状況でのプレーのレベルが特に落ちていた。

 それを補うためにフットサルを練習に取り入れた。「初めはあくまで練習でやっていたが、フットサルは覚えるのが難しいくらい、チーム内の作戦やサインがある。奥深い」。のめりこみ、デウソンの入団テストを受けたのだ。

 5月に入団した。

 「サッカーとはぜんぜん違うスポーツ。フットサルに関してはチームで一番へた。ミスは当たり前なので、どんどん挑戦して、成長して開幕を迎えたい」と話す。

 けがをしてからの課題だった球や人との距離感はつかみつつあるという。

 「見えないのがふつうになって、感覚もやっと戻ってきた。プレーする分には怖さはない」

 もともとスタミナやスピードが持ち味だった。それは視力とは関係がなく、今も変わらない。

 「ただ、見えていたときと全く同じプレーはできない。長くボールを持ちすぎると、どこにあるかわからなくなることもあるので、球離れを意識している」

 スポンサーからの支援や、イベントやメディアへの出演で生活資金を稼ぎ、今後もプロのフットサル、サッカー選手としてやっていくつもりだ。

 「ケガする前よりうまくなって、いつかまたクラブW杯へ。その思いは変わりません」。きっぱりとした口調だった。

 Fリーグは6月に開幕する予定だ。(内田快)