戸惑いつつ懸命に 神奈川で新生活送るウクライナ避難民

芳垣文子 岩堀滋小林直子
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 ロシア軍のウクライナ侵攻が始まって24日で3カ月となった。神奈川県によると、68人のウクライナ避難民が県内各地で暮らしている(17日現在)。新しい生活に戸惑いつつ、母国の家族を思いながら、懸命に生きている。

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 たっぷりの野菜に骨付きの鶏肉を加えたボルシチや、鎌倉で採れた野菜を使ったサラダ――。ナターリヤ・マーモーチカさん(68)が避難先の鎌倉市で、地元の人たちに母国の料理を振る舞った。

 工場で千人規模の従業員の食事を作ったり、幼稚園で調理員として働いたりと、「料理人」として40年近いキャリアがあるマーモーチカさん。「温かく迎え入れてくれた人たちに感謝の気持ちを伝え、ウクライナのことをもっと知ってもらいたい」。地元企業が22日に開いたイベントで腕を振るうことになった。

 午前と午後で計34人が舌鼓を打った。参加者は「優しい味のお料理でした」「大変な状況のなか鎌倉に訪れたウクライナの人が地域とつながれた」。マーモーチカさんも「自分の料理を楽しんで食べてもらってうれしい」と笑顔を見せた。

 マーモーチカさんは、チェルノブイリ近くの町・スラブチチで夫(70)と暮らしていた。鎌倉市に住む次女が4月、難民申請中の外国人を支援する市内のNPO法人「アルペなんみんセンター」に相談。夫婦で日本に避難することになり、4月16日に到着した。

 2人はセンターで生活している。見入っていたウクライナ関連のニュースも、最近は見るのがつらくやめているという。センターの担当者は「最初は疲れている様子だったが、徐々に元気を取り戻しつつある」と話す。(芳垣文子)

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 ウクライナ北東部のハルキウ州デルガチに実家があるオレクシ・マイボローダさん(33)は、相模原市に避難している。昨年12月、仕事の関係で隣国ポーランドへ移住したが、ウクライナ侵攻で祖国へ戻れなくなった。親戚を頼って訪れた相模原市で記者会見した。

 デルガチには母(64)と祖母(84)が2人で暮らしている。母とはSNSで日々やり取りし、家のすぐ近くで爆撃があったと聞いた。「混乱しているようでとても心配だ」とマイボローダさん。侵攻について「不要の戦い。ロシア人への恨みはないが、すごく悔しい」。

 戦闘に加わることも考えたが、母と祖母の生活を支えられなくなるため、親戚のいる日本への避難を決めた。2人を日本に呼び寄せるため、市の支援を受けて就労に向けて動いている。「日本人の支援に感謝している」。フードバンクから食料の提供も受けており、近く親戚の家を離れて、市営住宅に入居する予定だ。

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 59人(16日時点)の避難民が暮らす横浜市は、みなとみらい21地区で避難民のための交流カフェ「ドゥルーズィ」を開設した。4月28日のオープン初日、ナタリア・ムリャフカさん(36)は涙ながらに訴えた。「ウクライナで起きているひどいことをひとごとと思わないでほしい」

 現地に夫を残し、幼い子ども2人と親族を頼って市内へ避難した。「なぜお父さんに会えないの?」。子どもたちからそう聞かれるのがつらいという。一方で、母国語で交流できる場ができたことで「ひとりぼっちじゃないと思えた」。

 ウクライナ語で友達を意味するドゥルーズィ(平日午前10時~午後5時。第2、第4土曜は午前10時~午後1時)には在日ウクライナ人のスタッフが常駐し、避難民の相談内容に応じて窓口を案内している。市によると、住まいや生活費、日本語学習、就学など、必要な支援は日々変化するといい、担当者は「民間とも協力し、今後も避難民の方々が安心して暮らせるよう寄り添っていきたい」と話す。岩堀滋小林直子