第4回差別はあったけど、日本でよかった 「新岡史浩」になった私の願い

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森岡みづほ
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 「難民鎖国」とも言える消極的な政策をとる日本で一時期、国際社会の要請から多くの難民を受け入れたことがありました。1978年に特例的に受け入れを決めたインドシナ難民です。いま政府はウクライナ人について特例的に積極支援に乗り出しています。43年前にインドシナ難民だった男性は「日本に逃れてよかった」といい、様々な国からの受け入れを願っています。

身軽になるため、荷物は全部捨てた

 暗い夜だった。雨期で水量が増えたメコン川の流れは濁ってやけに速かった。空のポリタンクを縛り付けた体が下流へ流されていくのがわかる。それでも力を振り絞って手を動かす。タイの監視員が照らすライトが頭の上を通る。

 神奈川県海老名市に住む新岡史浩(76)は43年前の1979年7月、祖国のラオスを脱出し、メコン川を泳いで隣国のタイに逃れた日のことをよく覚えている。その後「インドシナ難民」として日本へ逃れ、40年以上暮らしてきた。

【連載】日本に逃れて 抱える思い

ロシアのウクライナ侵攻から3カ月。終わりの見えない戦争によって日本でも約1千人のウクライナ人が避難生活を送っています。世界には、ほかにも戦禍や政変によって祖国から他国へ逃れた人たちがいます。日本で暮らす人々のいまを追いました。

 「ミサイルが飛ばなかったラオスですら、みんな国から逃げ出した。ウクライナみたいな状況になったらほとんど誰も国には残らないんじゃないか」。新岡は今、連日新聞やテレビでロシアが侵攻するウクライナのニュースを見ると胸が痛む。ウクライナでは600万人以上が国を離れたという。「第三国で一から生活をつくるのは大変ですよ」

 新岡の旧名は、レック・シン…

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    小熊英二
    (歴史社会学者)
    2022年5月28日11時51分 投稿

    【視点】本筋からやや外れるが、「第2次世界大戦を経験している人たちは東南アジアのことをよく知っているからいいが、それより下の世代の人たちは、日本であることにいばっている人もいた」という言葉が印象的だ。 GHQの統計では、1945年10月から1