この怒りの言葉どこから「インターセクショナリティ」と沖縄の50年

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論壇時評 東京大学大学院教授・林香里さん

 5月15日は沖縄「復帰」50周年の日。作家の目取真俊は、50年経った今も新たな米軍基地が造られつつあることに憤り、これを「クソのような節目」と呼んだ(〈1〉)。この激しい怒りの言葉は何処(どこ)から来るのか。今月は、近年脚光を浴びているインターセクショナリティ(交差性)という思想(〈2〉)に依拠することで、この状況を論じ直してみたい。

 インターセクショナリティとは、いうなれば「差別をよく見よ」ということ。発端は米国の黒人女性たちの怒りだった。彼女たちの身の上には、女性差別と黒人差別など複数の差別が折り重なって作動する。その抑圧は、白人女性が受ける抑圧とは本質的に異なると訴えた。

 沖縄の現状を理解するには、国内のどこにも増して、この見方が重要に思う。というのも、内閣府の資料によると、沖縄県民1人あたりの所得は全国最下位。母子世帯出現率、非正規の職員・従業員率、高校中退率などもいずれも全国1位で、子どもの相対的貧困率も29・9%と全国平均の13・5%の2倍以上だ(〈3〉)。こうした状況には米軍占領の歴史と基地問題が深く関わる。つまり、沖縄の住人への抑圧は、他所で見られる抑圧と共通項をもちながらも、強さも質も苛酷(かこく)だ。「復帰」50年というこのタイミングに、沖縄が各種の抑圧の交差を背負い、多くの住人が不安定な暮らしを強いられているという現実を、いま一度、本稿の読者と共有したい。

 沖縄が直面する抑圧を、インターセクショナリティの思想に倣い、「よく見て」いくと、さまざまな位相が浮かび上がる。

「インターセクショナリティ」という思想を手がかりに、沖縄を見つめ直します。主権や自治、グローバル、環境問題などについての論考をたどると、さらなる問いにぶつかります。

 たとえば、「主権」や「自治…

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    三牧聖子
    (同志社大学大学院准教授=米国政治外交)
    2022年5月27日14時40分 投稿

    【視点】Yahoo!ニュースで記事の見出しに「辺野古」と入るとクリック率がみるみる下がるという。(本紙5/17 「クリックされない辺野古の記事 「本土の無関心」の裏側にあるもの」よりhttps://digital.asahi.com/article