バッハ弾きアンジェラ・ヒューイット、一つだけグールドをまねたのは

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波多野陽
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 現代を代表するバッハの演奏家の一人で、カナダ出身のピアニスト、アンジェラ・ヒューイットが日本を訪れている。21日には金沢市の石川県立音楽堂で、コロナ禍で2年延期されていたコンサートを開催。オーケストラ・アンサンブル金沢との協演でピアノ協奏曲を披露して聴衆を沸かせた。25日には東京・紀尾井ホールでのリサイタルで「フーガの技法」(BWV1080)の全曲を演奏し、世界の各都市でバッハの全ての鍵盤曲を演奏するシリーズ「バッハ・オデッセイ」を締めくくる。

 ヒューイットは金沢市に滞在中の19日、報道陣の取材に応じた。人生をともに歩んだバッハ、コロナで変わってしまった生活、そして、同じくバッハの演奏に生涯をかけた母国の天才・グレン・グールドまで、幅広く語った。

 まず、今回の日本でのコンサートはいずれも2020年に予定されていたものだった。音楽活動が制約を受けたコロナ禍をヒューイットはどう過ごしたのか。

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 基本的なレベルのことから言えば、収入も失ってしまうつらい時期でした。私にはロンドン、イタリア、カナダの活動拠点がありますが、ずっとロンドンの自宅で過ごしました。その間、シューマンやガーシュインらのラブソングを集めた作品を作りました。それと、ベートーベンのソナタ集も完成させることもできました。

 この期間には、自分がピアノをやっていて良かったと思いました。なにしろ、飽きることがないほど弾くべき曲があるのですから。

 それでも、最も大変だったのは、メンタルを保つことでした。抑うつ状態にならないように、アクティブにふるまい、1日1回は散歩に出て、買い物や料理、掃除をしました。精神的にはハードだったけど、幸い、音楽が一日を通じて私を救ってくれました。

ヒューイットはキャリアを通じて、多くのバッハ作品の演奏をしてきた。その功績を評価され、20年にドイツ・ライプチヒ市のバッハメダルを受けた。特に、16年からは、ロンドンや東京など世界5都市でバッハの鍵盤ソロ作品を網羅した12回のリサイタルをそれぞれ開く「バッハ・オデッセイ」に取り組んできた。コロナ禍を乗り越えて、とうとう25日に東京で締めくくられる。

 私にとっては大切な企画でした。私は、人生のほとんどをバッハに費やしてきました。バッハは親友と言えるような存在です。どの曲も録音してハイペリオンから音源を出してきた曲ばかりですが、改めて数年かけて、これらの曲を振り返ることは素晴らしいことでした。

ヒューイットは1958年にカナダの音楽一家に生まれた。同国出身で希代のバッハ弾きとして知られる、グレン・グールドを記念したトロントでのバッハ・コンクールで優勝し、頭角を現した。だが、ヒューイット自身は、極端なテンポやスタッカートで賛否の分かれたグールドとは一線を画した演奏で、バッハの第一人者として地歩を築いてきた。時に比較もされてきたグールドについては、こんなことを語った。

 私のトロント時代の教師の一人はマルトゥル・ゲレーロで、彼女はグールドの師だったアルベルト・ゲレーロの妻でした。ですから、少しの接点はありますね。でも、それ以外の部分は、かなり違ったピアニストです。

 でも、私が子供の頃には、彼はテレビによく登場していました。まだ白黒テレビの時代だったと思います。背中を丸めた変わった姿勢でピアノを弾いていた彼を見て、私は「このクレージー・ガイは誰?」と周囲に聞きました。

 私の両親も音楽家で、私たちは、これをまねするものではないと理解していました。何しろ、彼はグレン・グールドだから。彼は何でもできました。色々な面で天才でもありました。でも、私はまねをしたいとは思いませんでした。

 でも、いま、一つだけ秘密を…

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