第6回「使えない知」となぜ言える? 戦争の今、三牧聖子さんが考えること

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聞き手・水野梓
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 ロシアのウクライナ侵攻によって、国際問題に関心が高まっています。米国の外交を専門とする同志社大准教授の三牧聖子さんは、ニュース記事のコメントやSNSで専門的知見から発信を続けています。

 現在の専門分野に至るまでに、偶然の出合いに導かれ、多様な「学び」を経験してきた三牧さん。その出合いの中には、不遇な晩年を送ったある歴史家の著作もありました。80年の時を経て、ウクライナ危機のいま、改めて光を浴びているといいます。

 意外な文脈で、意外な人々によって、新たな意味を付与される学問の面白さ。そんな「学び」の奥深さを聞きました。

 ――この春、高崎経済大から同志社大へ移られました。ウクライナの問題など国際政治についても積極的に発信されていますが、大学での「学び」が役に立っていますか。

 最近は「使える知」「使えない知」という考え方も聞かれますが、そもそもある知が「使える」「使えない」と、いまの私たちにどれだけ分かるのでしょうか。その判断が、正しいものだとどうしてわかるのでしょうか。

 多くの人たちに「使えない」「理想にすぎない」と判断された知でも、その可能性を信じ、地道に探究する人々が細々とでもいてくれれば、それが将来、意外な文脈で意味や重要性を帯びることがある。一度は「使えない」と葬り去られたアイデアが、異なる文脈で再評価される。

 平和の歴史を探究していると、こうした知のあり方こそが、人間社会のリアリティーに沿っていると実感します。

ロシアの侵攻が理解できないときに

 ――ニュースでウクライナの悲惨な現状を見聞きすると、どうしてもロシアにまつわることを全て否定的にとらえてしまいがちです。

 昨今、「シンパシー」と対置…

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