八ツ場ダム、2年遅れの完成式典 「脱ダム」など苦難の歴史経て

前田基行
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 八ツ場(やんば)ダム群馬県長野原町)の完成を祝う記念行事が28日、現地で開かれた。2020年3月の完成に合わせて開く予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期が続き、2年遅れの開催となる。

 終戦直後に計画が浮上してから68年。地元住民の賛否は割れ、2009年に当時の民主党政権交代をしたときに「コンクリートから人へ」を掲げ、一時中止になることもあった。

 そもそもダムはなぜつくられ、どのような歴史をたどってきたのか。

 八ツ場ダムがつくられたのは利根川支流の吾妻川。国などの資料によると、1947年にカスリーン台風で利根川の堤防があちこちで壊れ、30万軒以上の家屋が水浸しになり、流域を中心に約1100人が亡くなった。

 この大水害を受け、洪水を防ごうと計画されたダムの一つが八ツ場だった。

 国は「多目的ダム」と位置づけ、大雨の時に水をためるほか、下流域の水道や工業用水の確保、発電にも使っている。

 一方、ダム完成までは紆余(うよ)曲折の歴史だった。

 まず、地元の激しい反対運動だ。ダムをつくると、1193年に源頼朝が開いたという言い伝えのある川原湯温泉などが水没することになる。国が1952年にダム計画を地元の長野原町に伝えると、水没地区の住民を中心に反対運動が長く続いた。

 やがて反対、賛成と、地域を二分する対立となった。疲弊した地元が、生活再建を条件にダム建設を事実上受け入れたのは85年のことだった。

 そして、ダム本体の着工目前だった2009年。民主党政権がダム建設の中止を表明し、八ツ場ダムは「政権交代の象徴」と一躍、注目を浴びる。ところが、地元の強い反発を受けると、これを撤回し、今度は「民主党政権混迷の象徴」となった。

 ダムは高さ116メートル、幅約290メートル。総貯水量1億750万立方メートルで東京ドーム約87杯分の大きさだ。当初は00年度に完成する予定だったが、たびたびずれ込み、総事業費は当初の2・5倍の約5320億円に膨らんだ。国内ダム史上、最高額となった。

 ダム建設で、水没地区や周辺の470世帯が移転対象となったが、国が用意した町内の代替地に残ったのは98世帯にとどまる。多くが町外に移ったとみられ、地域の活性化をどう進めるかが課題となっている。(前田基行)