今から半世紀前に、日本の若者3人がイスラエルの国際空港で銃撃する事件を起こしました。イスラエルによる占領が続くパレスチナの人々は当時、事件をどのように受け止めたのか、駐日パレスチナ常駐総代表のワリード・シアムさんに聞きました。
ワリード・シアム
1955年、パレスチナ難民としてレバノン・ベイルートで生まれる。自治政府日本アジア局長を経て、2003年6月より現職。正式な外交関係のないパレスチナの駐日大使に相当する。
――当時、事件はパレスチナでどう受け止められたのですか。
大きな衝撃でした。正直に言えば、当時パレスチナ人は日本についてほとんど何も知りませんでした。その日本人がなぜ、パレスチナを占領するイスラエルに来て、占領に抵抗する我々のために戦ったのかと。人々の感情は今と全く異なり、多くの人が感謝の気持ちを抱きました。
――多くの市民が犠牲になっています。
感謝は、市民の犠牲に対するものではありません。日本や世界の人々が我々に関心を持ってくれたことに対してのものです。当時、イスラエルによる占領や難民の発生といった「パレスチナ問題」が存在することを世界はほとんど知りませんでした。
――日本赤軍が連帯したパレスチナ解放人民戦線(PFLP)は、あなたが所属する解放機構(PLO)の傘下組織です。
我々は占領に抵抗する自由戦…