• アピタル

ヤングケアラーだった私への手紙 子ども時代の経験を作家が本に

大滝哲彰
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 大人に代わって家族の介護や世話をする「ヤングケアラー」。母の世話に明け暮れた子ども時代を過ごし、ずっと誰にも言えなかった作家がいる。昨年、一人娘が中学生になったのをきっかけに筆をとり、一冊の本にまとめた。若い頃の自分に向けた手紙として。

 ノンフィクション作家の林真司さん(59)=大阪市阿倍野区=が昨年12月に著した「私がヤングケアラーだったころ」(みずのわ出版、税別1200円)。統合失調症の母親と過ごした日々をまとめたものだ。

 食や農をテーマとしてきた林さんは、2013年に「『沖縄シマ豆腐』物語」で潮アジア・太平洋ノンフィクション賞を受賞。しかし、コロナ禍で取材活動に制限がかかるなか、記憶の奥底にしまい込んでいた自身の歩みを題材にした。

 「誰にも言えない、知られてはいけないことだと思っていた」

 昨年4月、一人娘が中学生になった。真新しい制服に身を包む娘の姿を見て、同じ頃の自分にとってつらかった経験が強く思い出されてきた。十数年前から書きためていた記録をもとに、筆をとった。

    ◇

 母の病状が悪化したのは小学6年生の頃だった。

 同居する祖母は、家柄や学歴を重んじる人だった。背中を押されるように、大阪市内の名門私立中学を受験。母と合格発表を見に行ったが、そこに自分の受験番号はなかった。

 特段勉強が得意ではなかった林さんはこう思った。

 「何の感慨も無かった」(太字部分は著書より。以下同じ)

 ところが、祖母からの抑圧に耐えかねていた母の反応は違っていた。

 「母が突然掲示板の前で錯乱しはじめたのである。それを境に、私たち家族の生活は、完全に崩壊したといってよいかもしれない」

 母の病気はそれから、悪化する一方だった。家中を大声で叫び回り、同居していた祖母に暴力をふるう。

 林さんは幼いながらにそんな母を支えつつ、母から逃れた祖母の代わりに、家事も担うことになった。

 だが、周囲からは偏見の目で見られ、三つ下の妹は「なんでこんな家に生まれてきたんかな」「普通の家がよかった」と嘆いた。

 追い打ちをかけるように、高校2年生の時には父をがんで亡くした。

 「私はいつしかクラスの落ちこぼれと成り果て、将来に対する夢や希望を完全に見失ってしまっていた」

 大学に進学した後、縁あって母を連れて京都の診療所に通い始めた。これをきっかけに、病状も安定していく。母は通院生活にも慣れ、徐々に穏やかな日常を取り戻していった。

 一人称で語る著書では、当時をこう述懐する。

 「私の青春は、記憶から消し去ってしまいたいほどの、悔恨で塗り込められた時代であった」

 だが、親身になって支えてくれた人たちがいた。そしてあの日々を生きたことが、作家としての今につながっていることも確かだ。

 だからこそ、こう書き加えた。

 「かつて延々と続いた日々の苦悩が、私の大切な礎となっていたようである」

     ◇

 厚生労働省が全国の小学6年生と大学3年生を対象に実施し、今年発表した調査では、小学6年生の15人に1人、大学3年生は16人に1人がヤングケアラーだという実態が明らかになった。

 林さんは家族のケアに苦しむ子どもたちに、こう強調したいという。

 「私もいつまでこんな生活が続くんやと、全く光が見えない閉塞(へいそく)感の中で生きていました。でも今は母の表情も穏やかで、普通に生活しています。諦めずに問題に向き合ったらいつかは局面が変わり、SOSに応えてくれる人は必ずいるはずです」(大滝哲彰)

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