「投げ方を忘れた」元甲子園準V左腕、遠回りしてたどり着いた指導法

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辻健治
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スポーツ好奇心

 四半世紀前、夏の甲子園で「ビッグマウス」と注目された高校球児がいた。

 平安(現・龍谷大平安)の左腕エースとして準優勝に導いた川口知哉さん(42)は、今年から母校の野球部コーチとなり、新たな道を進んでいる。

 龍谷大平安の野球部グラウンド(京都市伏見区)では5月中旬、春季大会を終えた選手たちが、夏の大会に向けた練習をしていた。

 ミーティングの中心で話すのは川口さんだ。

 184センチの長身に丸刈り姿は、高校時代の姿が重なって見える。

 1997年夏、平安は7年ぶりに全国選手権に出場した。川口さんは主将でエース、そして4番も務めるチームの大黒柱だった。

 1回戦から一人で投げ続け、41年ぶりに決勝へ。智弁和歌山には力及ばなかったものの、準優勝した。球数は6試合で計820球。決勝を含め4日連続で投げた。

 「普通でしたよ。『エースたるもの退(ひ)かない』。それが当たり前の時代でしたから」と振り返る。

 周囲を驚かせたのは、プレーだけではなかった。

 2回戦で藤川球児(元阪神など)を擁する高知商に勝った直後、次戦の目標を問われて「完全試合です」と宣言するなど、強気の発言を繰り返した。

 その裏にあったのは、「練習量は自分が日本一」という自負と、「プロになりたい」との思いだ。

 高1の夏、京都大会初戦で南京都のエース・斉藤和巳投手(のちにダイエー、ソフトバンク)の直球を打席で目にして、がくぜんとした。それから一日20キロ以上の走り込みを自分に課した。だからこそ強気でいられた。

 高3の秋、プロ4球団が川口さんをドラフト1位指名で競合し、オリックスへ。

 だが、入団直後に投球フォームを崩し、それが左肩の痛みにつながっていく。

 「歯車は一度狂い出すとなかなか直らない。いろいろな指導を受けた影響もあるし、高校のときにあった自信を貫けなかった」

 苦しげに続けた。

 「ほとんど記憶がない。どん底でした」

 入団2年目に1軍デビュー。しかし、1試合登板しただけで以降は2軍暮らしが続いた。

 「これじゃない、しっくりこないというのが3、4年続いた。イップスみたいになってしまった」

 立ち直るきっかけは、意外な形で訪れた。

 当時の投手コーチに「お前の…

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    安藤嘉浩
    (朝日新聞スポーツ部記者=高校野球)
    2022年6月2日14時39分 投稿
    【視点】

     平安の川口知哉投手は投球内容もコメントもビッグなサウスポーでした。有言実行で、第79回全国高校野球選手権大会(1997年)ではチームを準優勝に導きました。  打撃やバント処理などのフィールディングもいい万能型選手。その大型サウスポーを、