生まれ変わったら高校野球を 元ワンゲル部の高野連理事に育成功労賞

狩野浩平
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 高校野球の発展に力を尽くした指導者に対し、日本高校野球連盟と朝日新聞社が贈る「育成功労賞」の受賞者に、東京都の高校野球を40年以上支え続けた都高校野球連盟理事の小倉学さん(68)が選ばれた。

 「まさか自分が野球指導者になるとは思っていなかった」と振り返る。野球の経験はなく、高校時代はワンダーフォーゲル部と生徒会に打ち込んだ。

 高校野球と巡り合ったのは就職のとき。東京学園(現・ドルトン東京学園)が、野球部顧問のできる教員を探していた。教員になるために思い切って応募し、社会科の教員として採用された。

 左利き。ところが学校には右利き用のグラブしかなかった。慣れない右投げでキャッチボールをしていると、見かねた名誉校長(当時)が左利き用グラブを買ってきてくれた。その心意気に、野球に尽くす覚悟を決めた。

 就職して1年がたった春休み、母校の水城高校(水戸市)野球部を訪ねた。部員と一緒に練習したり、監督のそばで指導法を学んだりして、野球の奥深さを知った。それからは有名な指導者の本を読み、講演会に足を運んだ。

内野しかないグラウンド バント極め、神宮球場

 当時の東京学園はJR目黒駅のほど近くにあった。グラウンドは他部と共用で内野ほどの広さしか使えず、練習のために埼玉県にある球場をよく使っていた。「うちで一緒に練習しないか」と他校の指導者が声をかけてくれた。多くの指導者と交流しながら、野球の知識を深めていった。

 狭いグラウンドでは思うように練習できない。校舎の2階からボールを投げ、飛球に見立てた。打撃練習には重いソフトボールを使い、球が飛ばないようにしながらバットを振る力をつけさせた。部員は例年20人弱。左投げの選手が足りず、自身もバッティングピッチャーを務めた。

 重視したのはバント練習だ。野球を研究するうちに、守備でのバント処理のミスは大量失点につながると学んだ。逆に攻撃で小技を極めれば、強豪校とも渡り合える。「バントだけは負けないようにしよう」と選手に呼びかけた。

 思い出深いのは1993年の夏。16強入りし、ようやく神宮球場にたどり着いた。掲示されたトーナメント表に「東京学園」の文字。「ここまで来たか」と感慨深かった。試合には敗れたが、雨に包まれた神宮の光景は忘れられない。

 2014年に東京学園を離れ、今は東京都東村山市の小学校で働く。都高野連の理事ではあるが、野球指導には関わっていない。グラウンドを見ていると、今の子どもたちにはサッカーが人気なようだ。

 コロナ禍で部活動をはじめ、学校の様々な活動が制限された。かわいそうだが、だからこそ選手には前を向いてほしいと願う。「考えて工夫し、どれだけ実行できるか。それが高校野球ではないでしょうか」

 今も昔も、球児のひたむきな姿を見ているとうらやましくなる、という。もし生まれ変わったら高校野球をやりたいかと聞いてみた。「もちろん」。即答だった。(狩野浩平)