77年前の6月7日、大阪は3度目となる米軍の大規模空襲を受けた。2700人以上が死亡・行方不明になった。
ある女の子の人生も、この日、決まった。
当時12歳の小林英子さんは運動が得意でおてんばな性格だった。その日は、学校がなく大阪市都島区の家で母や弟と過ごしていた。
「市民の皆さん、頑張ってください」
昼前、ラジオが告げた。「敵機が来襲します。市民のみなさん、頑張ってください」
数分後、飛行機が低空飛行する爆音が聞こえた。
滝のそばにいるような「ザァーッ」という音がして、焼夷(しょうい)弾が自宅近くに落ちてきた。
外に逃げると、民家の屋根や道路など、あちこちに火が見えた。通りは煙が充満し、3~5メートルほど先までしか見通せない。
母や弟とはぐれ、一人になった。どこに逃げれば安全なのか、わからない。
ザァーッ。また焼夷弾の音がした。思わずしゃがんだ瞬間、右足に衝撃が走った。
手のひらほどの鉄の破片が、右足から跳ね返っていった。
右ひざを見ると、ザクロのように肉が見えた。不思議なことに痛さはあまり感じなかったが、骨が折れたようで右足が動かない。
炎が周囲に迫った。
「片足だと逃げきれない。焼け死ぬ」
煙の中の三つの人影
数メートル先の煙の中に、人影が三つ見えた。
離れた場所から頼んでも、助けてくれないかもしれない。
左だけで片足跳びをして、人影をめざした。
近づくと、20歳前後の男性…