ある棋士の引退 夢を見た山 遠かった頂

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北野新太

3月末、一枚の引退届が日本将棋連盟に提出された。彼はなぜ自ら盤上に別れを告げたのか。将棋、そして登山とともに人生を歩んだ棋士の物語。

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 将棋の小林宏七段(59)が4月19日付で引退した。規定による強制的なものではなく、自ら現役を去ることを選んだ。なぜか。かつて氷壁を登攀(とうはん)するクライマーでもあった小林は、将棋界という名の山で何を見たのだろうか。

 頂上を極められなかった後、死地から生還したクライマーはこんな顔をしているのかもしれない。戦い終えた小林の表情は悔恨と安堵(あんど)を同時に語っていた。「棋士人生として悔いはありますけど、人生に悔いはない。寂しさは……あります」。38年間、勝負の世界を生きた者の思いだった。

 一時代を築いた者の決断を除くと、棋士の引退の多くは「自ら辞めるもの」ではなく「辞めざるを得ないもの」を意味する。小林と同じく4月に引退した桐山清澄九段(74)と田中寅彦九段(65)はいずれもタイトル獲得歴を誇る大棋士だが、成績低迷による規定で盤上を去った。

 現役であれば報酬を得られ、真剣勝負を指せるが、小林は今年3月に自ら引退届を提出した。複数ある規定のうち「宣言によるフリークラス棋士」として2026年3月まで現役を続ける権利を持っていたが、4年も早く区切りをつける異例の選択をし、4月19日に最終対局を終えた。

 「理由は棋力の低下に尽きま…

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