令和にも現れた「臨調」 大改革の装置か、エリートの制度いじりか
耕論 「臨調」が描く夢と幻
財界や学界の有志らが日本の処方箋(せん)を提言する「令和臨調」(令和国民会議)が今月発足する。国家の大きな構想を描こうと、なぜかよく現れる「臨調」。そこにある夢と幻想とは。
臨時の調査会、すなわち「臨調」。そこにはどんな期待と限界があるのか。歴史的に考察する都留文科大学教授の菊池信輝さん、当事者として意義を語る「令和臨調」共同代表の佐々木毅さん、批判的に考察する同志社大教授の吉田徹さんへのインタビューから考えます。
臨調の影響力、決めるのは… 都留文科大学教授・菊池信輝さん
「臨調」がいまだに持ち出されるのは、1981年にできた土光敏夫会長の第2次臨時行政調査会の成功体験が大きいのでしょう。第2臨調はいい意味でも悪い意味でも、その後の日本社会のあり方に大きく影響しました。
ただ当初、第2臨調はさほど期待されていませんでした。60年代の第1臨調が出した答申は、ほとんど実を結ばなかったからです。ところが大蔵省が、臨調が財政削減に利用できるということに気づいた。旧経団連も、金利を下げるためには財政赤字を減らす必要があるから、臨調を財界あげて後押ししようとなった。行政管理庁長官だった中曽根康弘さんも、臨調は政治の武器として使えると再認識して、本気になった。
後から見ると、第2臨調の答申によって、国鉄の分割民営化で国労が解体され、社会党崩壊の引き金を引くという圧倒的な成果を残したわけです。英米と比べても、もっとも成功した新自由主義改革というしかないでしょう。
一方、第2臨調は失敗という…
- 【視点】
「臨調」という言葉が、大仰な制度をイメージしますが、現段階での令和臨調は、一種の改革シンクタンクの立ち上げ段階でしょう。その点では、静かなテイクオフにとどまっています。もちろん吉田氏の指摘のように、市民の参画や透明性も重要でしょうが、200
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