故郷がロシア軍に支配されても、自宅に戻るべきか。ロシアが進軍するウクライナ東部から逃れてきた避難者は、切実な問いを抱える。自宅が無事かもわからないまま、祈る気持ちで戦況をみつめている。
父は第2次大戦をソ連兵として戦った
エレオノーラ・ハブラクさん(83)が、東部ドネツク州スラビャンスクを脱出したのは4月11日。ロシア軍は侵攻目標をウクライナ東部の制圧に切り替え、市街地への爆撃を繰り返していた。
一人暮らしのハブラクさんの5階建てアパートの敷地には、砲撃で5カ所、穴が開いた。地下室に乾パンとペットボトルの水を持ち込んで過ごして1週間。娘がかつて通った学校まで破壊され、逃げ時だと悟った。90世帯あったアパート住民のうち、残っていたのは4世帯だけだった。
ハブラクさんは、この街で生まれ育った。父は第2次世界大戦をソ連兵として戦い、ナチスドイツに包囲されたレニングラード(現サンクトペテルブルク)で1942年1月に戦死した。
東部にはロシア語話者が多く、ハブラクさんの母語はロシア語だ。ウクライナ語は、かつて学校で習った程度に過ぎない。だが、「ソ連に郷愁なんてない。貧しく、自由もなかった。唯一よかったのは、アパートを無償で割り当ててくれたことだけ」。
18歳になってからは、この街の病院で60年間、看護師として働いた。その間、ウクライナは独立を遂げた。その病院は今、ロシアに破壊された。
奪われた故郷のすべて 「戻る理由があるとすれば」
スラビャンスク市が侵攻され…
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