古墳群から出土し80余年、所在不明の頭骨を「再発見」

西田慎介
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 戦前の1936年に北九州戸畑区(当時は福岡県戸畑市)の「名護屋岬古墳群」発掘で出土し、後に所在不明になっていた頭骨3点が昨年、同区の寺で見つかった。郷土史家の研究による「再発見」で、専門家の鑑定で古墳群出土の頭骨であることが確認された。研究発表会が11日、戸畑区汐井町のウェルとばた多目的ホールで開かれる。

 戸畑郷土史会(上田泰正会長、約20人)の事務局長を務める竹内英雄さん(54)によると、名護屋岬は日本書紀にも記され、北九州市で最も古くから知られた地名。

 遺跡は当時の八幡製鉄所の拡張工事で見つかり、発掘調査で横穴式石室3基が確認され、8体以上の人の骨や勾玉(まがたま)などの副葬品が出てきた。古墳群を構成する石組、副葬品は旧制戸畑中(戸畑高)、八幡中(八幡高)、東筑中(東筑高)に寄贈されたが、その後、所在不明になった。

 竹内さんは各高校に副葬品の所在を問い合わせたが、いずれも「心当たりがない」との返答だった。

 昨年3月、竹内さんがミニコミ紙でこうした経緯を紹介して情報提供を呼びかけたところ、「以前(戸畑の)照養寺で頭骨を見た」との情報が寄せられた。

 照養寺に問い合わせると「納骨堂にそれらしい品がある」。竹内さんが訪問し、頭骨3点がガラスケースに保管されているのを確認した。

 竹内さんは知人の行橋市歴史資料館館長の宇野慎敏(まさとし)さん(69)を通じて、昨年夏に土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム(山口県下関市)に鑑定を依頼した。宇野さんは「頭骨が現代の方のものではという心配があった」と振り返る。鑑定で「弥生時代の渡来人の遺伝的影響を受けた地域の人びととの形態的類似性が強かった」との結果が出た。

 竹内さんは新聞販売所(ASA戸畑)の4代目。創業した曽祖父の清之助氏は戦後初の戸畑市長を務めた名士で、多くの写真や記録を残している。その中から今回、発掘時の写真が見つかった。

 また、自宅にある地元の郷土史家が書いた本に、照養寺で頭骨と由緒書きを写した写真が載っていることも確認した。

 竹内さんは「歴史は意識しないと見えてこないし、忘れ去られてしまう。戸畑の歴史について思いを寄せていただければうれしい」と話す。

 30代の頃に北九州市史の編集にかかわった宇野さんは「頭骨の再発見には驚いた。古墳群は7世紀に入るころのものだと思う。当時、響灘から洞海湾沿岸には、百済を助けるために朝鮮半島に出兵していた人々が暮らしていたと考えられる」と話す。

 研究発表会は11日午後1~4時、先着180人で資料代300円。北九州市立旧百三十銀行ギャラリー(八幡東区西本町1丁目)では12日まで頭骨や関連資料を展示している。(西田慎介)