ちまきづくりが取り持つ住民交流 名張・赤目町柏原地区
吉住琢二
【三重】旧暦の端午の節句(今年は6月3日)に近い11日、名張市赤目町柏原地区では、住民が集まって一緒にちまきをつくる行事があった。この地域には、かつての戦乱にまつわり、「ちまきをつくってはならぬ」という言い伝えがあったが、今では、ちまきが住民同士の交流を取り持つ。
伝承の元になったのは、織田信長配下の軍勢が伊賀に攻め入った1581年の「天正伊賀の乱」。この地にあった柏原城が決戦の地となったとされる。「ちまきも血の色に染まる」ほどの激戦で、戦(いくさ)の後に家でつくったちまきが赤くなったと伝えられてきた。
今もちまきづくりを控える家はあるという。一方で、地元の福祉市民グループ「柏原ふれ愛サロンひまわり」などが、「住民同士の楽しい交流の機会に」と、2011年から行事を開始。藤村純子代表(74)は「みんなで一緒につくれば大丈夫ですよ」と話す。
この日は、地元の柏原勝手神社に約60人が集まり、境内でついたもちを、住民たちがカヤの葉で包んだ。出来上がった約800個は、各自が家に持ち帰った。藤村さんは「住民のふれあいの場として行事を続けたい」と話した。(吉住琢二)
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