九州の稲作、30年で北部から南部へ? 「先入観」疑って研究
九州北部に伝わった稲作は、30年という短い期間で九州南部まで伝わった――。熊本大学などのチームは、土器の中に練り込まれたイネの炭化物を分析することで、九州での稲作の広がりが従来の説よりずっと早かった可能性があることを明らかにした。発見のきっかけは「先入観」を疑ったことだった。
稲作の広がりはこれまでイネそのものではなく、それに伴う土器の広がりで推定されてきた。九州南部では古い年代のイネそのものの発見がなく、あったとしても詳しく調べると新しい年代のものと判明するというケースもあった。
基準になるのが紀元前10世紀ごろの「山の寺・夜臼Ⅰ式土器」や、それと同じ形式の土器。「山の寺・夜臼Ⅰ式土器」は九州北部の水田跡近くから見つかるなど、弥生時代と稲作の開始を示す傍証とされてきた。この形式の土器が現れるのは、九州南部では九州北部に比べて少なくとも100年、通説では200~300年遅い。
本当に各地の稲作の始まりは、この形の土器が現れた時期と同じなのか――。
熊本大の小畑弘己教授(考古学)は、「弥生時代の土器」から離れてみることにした。
これまで小畑さんらは、土器に練り込まれた植物や虫などを調べてきた。X線機器を使って土器の中の小さな粒を見つけたり、炭素から年代を推定したりする技術の進歩もあり、今ではアワの粒一つでも年代を測ることができるようになったという。
- 【解説】
熊本大学の小畑弘己教授が積極的に進めている、考古資料の「再発掘」の成果です。この記事で紹介されている話題は二つ。一つは、鹿児島県志布志市で出土した土器片に含まれていた炭化米の放射性炭素年代を測定したところ、北部九州で最古とされる炭化米の年