「はよ避難せな!」言おうとしたら 護摩たき復活、亡き妻への思い
若葉がしげる境内に読経が響く。修験道の聖地、福岡県東峰村の岩屋神社。護摩をたく炎が4月9日、3年ぶりに立ちのぼった。
4月恒例の「岩屋まつり」は、コロナ禍で3年連続中止になった。でも「護摩たきだけはやりたいんよ」と、氏子総代の熊谷武夫さん(77)は言い張った。例年ある補助金がもらえず、20万円を超す費用も一人で立て替えた。
「やれてよかった。3年もせんと、やり方を忘れてしまう」。笑顔を浮かべた。
境内各所にタイを1匹ずつ供え、来客に豆腐汁をふるまう。妻がいれば「やっといて」で通じた。「あれがおったから、総代を長年やってこれた」。改めて感じた。その妻は、5年前の九州北部豪雨で濁流にのまれた。
2017年7月5日。武夫さんは神社の隣の岩屋キャンプ場で、管理人の仕事をしていた。宿泊客はいなかったが、夏休みの予約電話がときどき入った。
久しぶりの雨が降っていた。田んぼはカラカラだったから、管理棟に寄った友だちと「もうちっと降らんと足らん」と話した。
昼ごろ、坂を600メートルほど下った宝珠山川沿いの自宅から、妻のみな子さんが車で上がってきた。合唱団をかけもちする元気な妻。朝から出かけていたが、雨で早く帰ったらしい。「お弁当、買(こ)うてこようか?」と聞かれ、「いや、あるもん食う」と家に帰した。
午後はたたきつけるような大雨になった。いつまでもやまない。3時ごろ妻が電話をくれた。「危ないけん、帰ってこん方がええかもしれんよ」。帰り道を心配してくれた。12年にも大雨が降ったが、自宅は何ともなかった。「家におれば安全」と疑わなかった。
その1時間後。車が何台かキャンプ場に上がってきた。下の集落の人だった。「なーん?」と聞くと、「下は大変なことになっとるぞ」。
あわてて家に電話した。何度…