原告名「ジェーン・ロー」の波乱の人生 中絶の権利めぐり揺れた思い

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ニューヨーク=中井大助
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 1973年に米連邦最高裁人工妊娠中絶の権利を認めた「ロー対ウェード」の訴訟は、1人の女性が原告だった。波乱に満ちた人生は、米社会における中絶の議論の難しさも象徴する。

 米国では、当事者の名前が訴訟の名前となることが一般的だ。ロー対ウェードは、中絶の権利を求めたジェーン・ローさんが、中絶を禁じるテキサス州法を執行する立場だった地区検事のヘンリー・ウェードさんを訴えたことから、この名称となった。

 ただ、ジェーン・ローさんは訴訟のために用いられた仮名だ。本名は、ノーマ・マコービーさん。提訴した1970年当時は22歳。既に2回の出産を経験し、2人の子どもは養子に出していた。

 マコービーさんは複雑な家庭で育ち、3回の妊娠の父親は全員違っていた。同性愛者だったが、男性とも交友を重ねた。自伝では3回目の妊娠を知った心境を振り返り、「再び養子に出すのは嫌だった。私を母親とする子どもをこの世に産みたくなかった」と記した。

 医師から中絶を断られたマコ…

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    三牧聖子
    (同志社大学大学院准教授=米国政治外交)
    2022年6月19日16時57分 投稿
    【視点】

    中絶の権利の象徴となったマコービーは、今では「お金をもらって中絶反対に転向した女性」として広く知られている。1990年代半ば、マコービーは中絶反対へと姿勢を劇的に変えた。その理由は、キリスト教福音派への改宗によるものとされてきた。 し