山梨出身の登山カメラマン、平賀淳さんが米アラスカで転落死

池田拓哉
[PR]

 山梨県甲斐市出身の山岳カメラマン、平賀淳さん(当時43)が先月、米アラスカ州の山で事故死した。ヒマラヤなど高度な技術が求められる環境で山岳撮影に挑み続けていた平賀さんには、登山家野口健さん(48)も信頼を置いていた。18日、甲斐市内で「お別れの会」があった。

 米国立公園局や親族によると、平賀さんは5月18日、米国アラスカ州のデナリ国立公園で撮影中にクレバスに転落して死亡した。

 平賀さんは県立韮崎高(韮崎市)で山岳部主将を務め、1996年のインターハイ登山競技で全国優勝を果たした。当時の後輩で現在はプロのトレイルランナーとなった山本健一さん(42)=韮崎市在住=は「15歳の時からずっと近くにいた。信じられません」と惜しんだ。

 山本さんは昨秋、山梨県境付近の山々を一周するトレイルランに挑んだ。平賀さんはカメラマンとして475キロにわたる走行を記録に残した。「大きなチャレンジの時に必ずそばにいてくれた」と語った。

 韮崎高山岳部の顧問として平賀さんを指導した秋山教之さん(70)は「とても体力があり、心強い存在だった。ビデオカメラをよく回して自然を撮影していたのが印象的でした」と懐かしんだ。

 今月10、11の両日、平賀さんの自宅がある川崎市内で通夜と葬儀があり、延べ約500人が別れを惜しんだ。親族によると、平賀さんが2007年にエベレスト登頂に帯同した野口さんも参列した。野口さんは先月、ツイッターで「僕にとって弟みたいな存在でした」と悼んでいた。

 平賀さんの妻洋美さん(43)は18日、取材に対して「皆さんに愛され、走り抜けた。輝いた人生でした」と語った。平賀さんの両親は「お別れの会」の会場に掲げたあいさつ文に、平賀さんが生前に語っていた言葉を残していた。

 「絶景を多くの人に知って欲しい、山に行けない人にもこの感動を与えたい」(池田拓哉)