「福島に骨を埋める」 原告の思い伝える闘いは続く
東京電力福島第一原発事故から1週間が経ったころ、法科大学院生だった鈴木雅貴(36)はふと思った。
「同じようなことが浜岡原発で起こったら大丈夫なのか」
静岡県磐田市出身。大学卒業後に弁護士を目指し、名古屋市内の法科大学院で学んでいた。卒業目前の2011年3月11日、東日本大震災が発生した。
鈴木が育った磐田市は中部電力浜岡原発から約30キロ。震災当時、浜岡原発は海岸との間に高さ10~15メートルの砂丘があり、これが津波を防ぐとされていた。
鈴木は原発事故で避難する住民の様子をテレビで見て、「地元で起きていてもおかしくなかった。ひとごとと思えない」と思った。そして、決意する。「原発問題に取り組む弁護士になろう」
11年9月に司法試験に合格し、司法修習は福島県内で受けた。先輩に付き添って避難者らの集会に顔を出し、事故当時の様子を聞いて回った。翌年、「福島に骨を埋める覚悟」で弁護士登録をした。
生業訴訟の弁護団には13年3月の提訴時から加わった。主に原告の被害立証を担当し、これまで数百人にのぼる原告から話を聞いた。「近所の人と井戸端会議をしていた生活を返してほしい」「自分で作った農作物を食べたい」――。原告の思いに触れ、「普通の暮らしに価値があることに気付いた」と振り返る。
同じ法律事務所の同期の弁護士、関根未希(36)も少し遅れて弁護団に合流した。関根は福島市出身。県外の法科大学院に通っていたが、原発事故で福島の将来が心配になった。「戻ってやることがある」と帰郷を決めた。
弁護団活動を通して驚いたのは、原発事故の被害の多様さだ。過酷な避難生活を送った人、仕事や家庭の事情で避難したくてもできなかった人、避難や賠償をめぐって家族や地域コミュニティーにヒビが入り、関係を悪化させた人……。
そして1人の原告女性に出会う。富岡町から避難を強いられた深谷敬子(77)だ。自宅の車庫を改装して美容室を営み、自慢のダイニングで近所の人に自家菜園の野菜の料理をふるまった思い出を聞かされた。関根は何度も郡山市に避難する深谷の元へ通っては、話に耳を傾けた。
2人は二審・仙台高裁の現地検証で、富岡町の深谷宅を裁判官に案内した。雑草に覆われ、獣に荒らされた我が家で、深谷は「よく見てください。原発事故で避難したら、我が家がこんなにもひどくなるってことを」と訴えた。裁判官の1人は涙を浮かべた。深谷は最高裁でも裁判官を前に、「原発事故が奪った私の人生そのものを返してほしい」と意見陳述した。
深谷は関根について「気持ちに寄り添い、支えてくれた」と感謝する。関根は「裁判を通じて、原告ひとり一人の被害や思いを社会に届けたかった」と語る。
生業訴訟は一審、二審とも国の責任が認められた。だが、17日の最高裁判決では覆った。弁護団の活動は続く。
18日、鈴木の姿は南相馬市にあった。原告約1150人が提訴し、現在、福島地裁で審理中の第2陣訴訟の原告募集の相談会を開くためだ。この日は約30人が訪れ、うち17人が提訴を決断したという。「最高裁で負けたのに、追加提訴をする人がいることはギャップに思われるかもしれない。でも、そのギャップこそが、まだまだつかみ切れていない被害があることを示していると思う」と話す。
さらに鈴木は、福島と出身の静岡をつなぐ活動もしたいと考えている。「福島で起きていることを伝え、静岡の人にも原発について考えてもらいたい」。10年近く取り組んだ裁判での経験を地元に還元するつもりだ。=敬称略(滝口信之、酒本友紀子)
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