あの夏、松井裕樹が欲しかったもの 狙ったのは22奪三振ではなく…

構成・松沢憲司
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 第104回全国高校野球選手権大会(8月6日開幕、朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)をめざす戦いが始まった。高校球児があこがれる甲子園。10年前の夏、その夢舞台で1試合22奪三振の大会記録を打ち立てたのが、プロ野球楽天の守護神・松井裕樹投手(26)だ。自身をスターダムに押し上げた、伝説の奪三振劇。当時の胸中に迫った。

 ――2012年の第94回全国選手権大会、1回戦の今治西(愛媛)戦で1試合22奪三振を記録した。

 今回のインタビューに合わせて、当時の公式スコアや三振の場面を集めた動画を見ました。(三振以外の)アウトが5個あって。そのうちのセンターゴロと、自分が牽制(けんせい)で走者を誘い出して奪ったアウトは覚えていたんですけど。色々、思い出しましたね。

 ――試合の最初の打者に全てスライダーを投げ、三球三振に仕留めた。

 直球よりもスライダーに自信があった。全国大会の入りだったから、得意のボールでと思っていたんです。

 相手は甲子園の常連校。試合をうまく運んでくるイメージがあった。試合前のミーティングでも「(振ってほしい球に)食いついてこなくても慌てるな」と言われていた。

 確か、先頭打者はスイングしてこなかったんですよ。「球を見極めてきたのかな」という印象を持ったのは今も覚えていますね。

 ――快調に奪三振を重ね、2―0の五回は自ら右越えに3点本塁打を放った。

 あれが一番うれしかった。2年生の夏で高校通算3本目。

 ホームランなんてほぼ打たないから、もう、ダイヤモンドをかみしめる余裕がなくて。ダッシュで駆け抜けました。

 ――あの本塁打を含め、試合の流れが来ているという実感はあったか。

 正直、5―0になった時点でセーフティーリードをもらったと思った。ピッチングは五回終了時で、まだヒットを打たれていなかったんですよ。

 同じ左投手で、プロ野球でも活躍した工藤(公康)さんと杉内(俊哉)さんが、ノーヒットノーラン(無安打無得点試合)を達成していたのは知っていた。この時点では三振よりも、そっちを狙っていたんです。

 だけど六回、ボールを置きにいって先頭に四球。次の9番打者も2ボールになってしまって……。

 この展開で2人連続の四球はダメだろうと思ってストライクをとりにいったら、(中前に)初ヒットを打たれてしまったんです。

 ――その後、1番打者の遊ゴロで1死一、三塁。後続の2番と3番を連続三振に仕留めてしのいだ。

 あの日は、3番の左打者を一番マークしていたんです。

 実際、一回は四球を選ばれたし、九回にはヒットも打たれた。六回の場面は、そのいい選手を必ず打ち取らないといけなかった。

 5―0にリードを広げた直後の回を、しっかり抑えたらこの試合はうちのものになるぞって。あそこが試合のターニングポイントでした。

 ――六回の2死目から九回2死目まで、10者連続奪三振。どのあたりから三振の数を気にし始めたのか。

 数は考えていなかったですね。基本的にいつも、全部三振を狙っているので。

 ――常に三振を狙うのは小さい頃から染みついた意識か。

 いつからか、か……。そこについては考えたことがないですね。追い込んだら三振を狙うというのは、気づいたらそうなっていた。

 三振って、バッターとの勝負で、分かりやすくピッチャーの勝ちってなるものだから。

――この試合では22回、打者に勝ったということになる。

 実は三振の数が、それだけ多くなっているのには気づいていなくて。八回の時点で、二塁を守っていた先輩の鈴木拓夢(たくむ)さんに「三振、多いと思うんだけど」って言われたんですよね。

 スコアを書いていたマネジャーに確認したら、八回が終わったところで19個。

 それで、拓夢さんから最後も狙っていけよと言われて。ただ、拓夢さんは打球がくるのを嫌がる人だったんです(笑)。「三振とれよ、なに打たせてるんだよ」っていう感じで、いつも。そうやって、ふざけてくれて。

 ただ、奪三振の大会記録がいくつなのかは当時は知りませんでした。

 ――九回はそれまで以上に三振を意識して、狙い通りに三つとった。

 そうですね。ただ、三振をとれたということよりも、自分自身、甲子園に初めて行って、勝てたのがすごくうれしかった。

 ずっとめざしていた場所だったし、甲子園でこのチームで勝てたのはいい瞬間でした。

 ――あの試合で、松井裕樹という投手への注目度が一気に上がった。

 翌朝、宿舎に置いてあった新聞を見たら大きく扱われていた。朝食を食べながら「新聞に載ってるじゃん」みたいな感じで盛り上がって。あの試合で、全国に名前を売ってもらった。

 ――22奪三振を記録した一戦は、どんな意味を持っているのか。

 自分の立ち位置って、高校生の時にはよく分からない。同学年にどれくらいの選手がいるか、みたいな部分が。

 甲子園の初戦が終わってから、来年のドラフト候補と言ってもらえるようになったんですよ。あ、自分はプロを目指せるレベルにあるんだな、というのがそこで分かった。

 そこで、よりしっかりとプロというものを、(野球人生の)道筋の延長線上に置けるようになりましたね。

 ――あれから10年たつが、1試合最多奪三振の記録はいまだに抜かれていない。

 もう10年か! いつか、抜かれるかもしれないなって思います。もし何十年後も名前が残っていたら、うれしいですけどね。22奪三振は、もう一回やれと言われても無理ですよ。高校野球で20個以上の三振をとれた試合は、あの1回きりだと思う。

 ――高校野球で得たものは何か。

 野球に関してというよりも、高校時代に友達、チームメートに出会えたことが一番の財産。三振をとったことより、チームのみんなと出会えたことが一番よかったと思う。

 もちろん今でも連絡を取っています。僕は大学、社会人という野球のカテゴリーは経験していないので、アマチュアの時の最後の仲間ですから。

 いろんな応援をしてもらったり、球場に見にきてくれたり。最近、結婚する人も増えた。そういう報告をもらったりとか結婚式に行ったりとかという楽しみも増えて。最高の仲間を高校時代に得られたと思う。

 ――球児たちへメッセージを。

 「全力」という言葉に尽きますね。失敗を恐れないで。後ろ向きになるのはもったいない。

 好きで野球をやっていると思うので、自分ができることに集中して全力でやってほしいです。勝った負けたはあるし、負けた時はすぐにはそう思えないでしょう。でも、全力でやることで、後々、大きな意味が出てくる。やりたいことに、全力で向き合ってください。(構成・松沢憲司)