この映画は絶対に撮らなくちゃいけない 香川京子さんが語る沖縄戦

【動画】沖縄の「慰霊の日」を前に、インタビューに応じる俳優の香川京子さん=井手さゆり撮影
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 23日は、太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者らを悼む「慰霊の日」。1953年公開の映画「ひめゆりの塔」で学徒役を演じ、長年にわたって沖縄戦と向き合い続けてきた俳優の香川京子さん(90)に、元学徒との交流を通じて育んできた平和への思いを聞いた。

 映画「ひめゆりの塔」は戦後、多くの人が沖縄戦を初めて知るきっかけになった作品だと思います。私自身、台本を読んでショックを受けました。

 私は、疎開先の茨城県で終戦を迎えました。当時、13歳。学校から家まで、車も通らない道を、お友達と歌を歌いながらのんびり歩いて帰っていました。同じ頃、沖縄では自分と年の違わない女学生たちが、こんな目にあっていたのだと、そのとき初めて知った。この映画は絶対に撮らなくちゃいけない、という使命感が生まれました。

 当時、沖縄は米軍統治下で、ロケはできなかった。だから、春から夏の沖縄で起きたことを、冬の東京や千葉で撮影したんです。深夜までかかることもしょっちゅうで、霜の降りた地面に伏せたり、吐く息が白くならないように口に氷を含んだり。本当に大変な撮影でした。

 でも、どんなに寒くてつらくても、生きるか死ぬかの思いをしていた女学生たちに比べたら……。こんなことで文句を言っていては申し訳ない、という気持ちでした。

 映画は大ヒットしました。戦時中、沖縄で起きたことを、本土は知らされていなかったんです。戦後、「平和になってよかった」とみんなが思っていたところに、同じ日本の沖縄で、女学生が何百人と亡くなっていたことを初めて知るわけですから、びっくりしますよね。戦争と平和について、改めて考えながら見られたんじゃないかな。

 初めて沖縄へ行ったのは、26年後の1979年。戦時中、卒業証書を受け取れなかったひめゆり学徒のために、34年ぶりの卒業式が開かれるということで、テレビのリポーターとして参加しました。

 初めて見る沖縄の海は、本当にきれいでした。でも、ここが真っ黒になるくらいの軍艦で埋まった景色を想像して、どんなに大変だったかと。だから、私は沖縄に行っても、観光をする気にはなれないんです。

 生き残った元学徒の方々は、とても明るく迎えてくださり、ほっとしました。なかには、当時の病院壕(ごう)のひどいにおいを画面から感じてしまったりして、「つらくて見られなかった」と話す方もいました。また、「実際と違う」ということも言われました。

 映画には、私の演じた女学生…

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