「丹波の赤鬼打線」へ足腰強化 明智光秀が通った?城跡で鍛錬

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 山あいに位置する丹波。かつて武将らが数多くの山城を築き、今でも各地に城跡が残っている。

 丹波の球児にとって、そんな山々は格好の練習場。この地で活躍した武将らに思いをはせ、野球に採り入れようとしてきたチームもある。

 「あと200メートルや!」「きつい!」

 兵庫県丹波市春日町にある標高356メートルの猪ノ口山(いのくちやま)。地面に岩の転がる足場の悪い山道を、氷上の選手やマネジャー約20人が登っていった。藤井涼選手(2年)は周りの木を一つ一つ眺めながら想像した。

 「ここを明智光秀も通ったかも」

 時をさかのぼること約450年。織田信長から「丹波攻め」を命じられた明智光秀が攻撃を開始する。その軍勢を「丹波の赤鬼」と恐れられた猛将・赤井直正が迎え撃ち、一時退ける。その舞台になった直正の居城「黒井城」が、ここにあった。

 城は直正の死後、光秀軍により落ち、その後廃城となった。城跡は1989年に国史跡に指定。今でも途中には曲輪(くるわ)があったり、頂上には石垣が残っていたりと、城跡を登ると面影を感じることができる。

 氷上の野球部は今年から、お正月や兵庫大会前の壮行会といった節目に城跡を登る取り組みを始めた。「先人の残した足跡をたどり、それにあやかりたい」。原智徳監督は狙いをそう語る。「『丹波の赤鬼打線』と言われるようになりたい。そうなるように頑張らせたいと思います」と意気込む。

 頂上までは片道20分ほど。選手にとって歴史を感じながら進む険しい道は、実際に「赤鬼打線」に不可欠な足腰の強化にもつながっている。「登ると下半身がパンパンになります。下半身を落としてためて打てるようになりました」と藤井選手。

 頂上では部員らが輪になり一人ずつ抱負を言うこともある。居合わせた市民に「頑張って甲子園行けよ」と励ましの言葉をかけられることもあるという。

 宝塚市から通う岸本優生選手(1年)は今月、初めて頂上に登った。「こちらに来て丹波にも城があると知り、おもしろいと感じました。『がんばろう』と声を掛け合って団結力が高まり、チームの雰囲気が良くなる感じがしました」

 原監督は「小さな地区であり、学校ですが、子どもたちに全国の強豪校に屈せず太刀打ちする人材になってもらい、快進撃を期待したい」と語る。