日本兵の祖父、加害者だったのか 24万の名前読み上げに込めた願い

有料記事沖縄・本土復帰50年

西岡矩毅
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 戦後77年の今年、沖縄戦の戦没者らを追悼する「平和の礎(いしじ)」(沖縄県糸満市)に刻まれた24万人以上の氏名を読み上げる取り組みが行われた。23日朝まで続いた読み上げにかかった時間は、12日間、計約250時間。1500人以上の参加者たちは、どんな思いを込めたのか。

 19日午後、沖縄県北谷(ちゃたん)町の民家には知人ら約20人が集まり、順番にパソコンの前に座った。1人が30分ずつ、戦没者たちの名前を画面越しに読み上げていく。

かたわらに姉の卒業証書

 参加者の一人、野国昌春さん(77)は、姉・春子さんの国民学校の卒業証書を傍らに置いて読み始めた。姉に、読み上げる名前を聞いてもらいたかった。

 昌春さんが生まれて間もない1945年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸した。家があった北谷の海岸は押し寄せる軍艦で埋まった。逃げる母に背負われながら、米軍の砲弾を受けて大けがをした、と後に聞いた。記憶はないが、今も右太ももに傷が残る。

 姉のひとりに、14歳だった春子さんがいた。正義感が強く、活発な子。国民学校高等科の卒業を控えていた45年春、友人らと志願して軍の看護要員となったという。

 その後の消息はよくわからない。本島南部の陸軍病院壕(ごう)に配属され、6月に戦死した、との記録がある。遺骨も遺品も見つかっていない。

 平和の礎(いしじ)には春子さんと、当時3歳だったもう一人の姉・昌子さんの名も刻まれている。昌子さんは沖縄本島北部を逃げ回る中、栄養失調で亡くなった。

 名前のひとつひとつに、未来があった。二人が生きていれば、どんな人生を送っただろう。

 77年前の戦争が、現在の基地問題に連なる沖縄。北谷町は町面積の半分を米軍基地が占める。昌春さんはその後、北谷町長を16年務め、基地の部分返還に力を注いだ。

 春子さんの卒業証書は、戦後30年ほど経ってから母が受け取ったものだ。

 姉の名前の順番が回ってくると、淡々と、丁寧に読み上げた。「姉は卒業式を迎えられなかった。だから代わりに、卒業式のように読みました。姉たちに届いたでしょうか」

祖父は日本兵、抱えたためらい

 南風原(はえばる)町の金城美佳さん(53)は18日夜、自宅の和室に正座してパソコンに向き合った。最初に読み上げたのは岡安幾三郎さん。自身の祖父だ。

 美佳さんは埼玉県出身。27…

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    市田隆
    (朝日新聞編集委員=調査報道、経済犯罪)
    2022年6月23日22時38分 投稿
    【視点】

    戦争の犠牲者は、その人数が多ければ多いほど、ひとりひとりの存在が数字の中に埋没してしまう。後の時代からその戦争を知ろうとすれば、その大きな数字だけが目の前に現れる。 24万人以上の氏名を約250時間かけて読み上げた取り組みは、その数字だけ