ウクライナは1990年代、旧ソ連から引き継いだ核兵器を廃棄し、持っていた核兵器をロシアに移送することで、非核兵器国となりました。もしこの時、核兵器を維持し続けていたら、その後の歴史は変わっていたでしょうか。今回、ロシアの侵攻を受けることもなかったでしょうか。
当時、ウクライナで核兵器廃棄交渉を担当し、ロシアへの核兵器移送に強硬に反対したのが、環境保全相のユーリ・コステンコさん(71)です。ロシアへの強い不信感を抱くコステンコさんらは、ひそかに米国などと交渉し、核兵器の廃棄と引き換えに米欧から安全保障を確保しようと試みたのでした。
実現しなかったこの試みは、ロシア軍の侵攻を受けた今、ウクライナに貴重な教訓を与えています。侵攻を「民主主義対全体主義の戦い」と位置づけ、「これに勝利することで、北方領土返還も実現する」と考えるコステンコさんに、首都キーウ(キエフ)で話を聞きました。(キーウ=国末憲人)
――ウクライナの核兵器廃棄の経緯をうかがうために、前回インタビューをお願いしたのは、昨年3月でした。それから1年足らずのうちに、ロシアはウクライナに侵攻してしまいました。
侵攻は予想通りでした。侵攻後、私は息子とともに領土防衛軍に入って戦いました。もしロシアが首都キーウを占領していたら、私は生きていられなかったでしょう。漏れ伝えられた情報によると、私の名前はロシアの処刑リストに掲載されていたそうです。しかも最初のページ(笑)。でも、ウクライナ軍が敗れるとは一度も考えませんでした。
「ロシアは以前から変わらない」
私は今、ウクライナの自立を目指す政治運動にかかわっていますが、メンバーの一部はソ連時代、拘束されて強制収容所に閉じ込められた経験を持つ人々です。そのような体験から、(ソ連の支配層の中心にいた)ロシア人が民主的な社会をいかに憎んでいるか、肌にしみて感じましていました。ロシア人の意識は、現代に至るまで変わりません。自由に振る舞いたいウクライナの意識を、ロシアのプーチン政権は認めようとしないのです。
核兵器廃棄の交渉をしている…
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